
高校時代、片道4時間かけて道場通い
極真会館の『全日本空手道選手権大会』の初代王者、山崎照朝(てるとも)氏が、胆管がんのため22日に死去した。77歳だった。
山梨県甲州市の出身。県立都留高校入学式の際、「身体が大きくて(身長177センチ)生意気だ」と学校の番長グループから目を付けられ、喧嘩を売られそうになったという。番長グループの一人が空手を習っていることから、自分も護身のため空手を習おうかと思っていた時、たまたま池袋の空手道場の広告を目にした。伝統的な空手は寸止めによる組手なのに対し、その道場に見学にいって目にしたのは、直接相手に打撃を加えたり蹴ったりする激しい空手だった。山崎はその道場への入門を決めた。その道場こそが極真会館の本部道場で、館長はあの大山倍達(ますたつ)氏だった。まだ空手ブームが日本中に起きる前の60年代のことである。
「何年も山ごもりをして空手の修行をした」「10円玉硬貨を指で2つに折った」「ビール瓶の口を空手で割る」「牛やクマとも戦って勝った」などなど逸話の多い“ゴッドハンド”大山倍達であるが、これはのちに大ヒットする「空手バカ一代」の原作者・梶原一騎はこれにはフィクションがかなり含まれていたと打ち明けている。
それはともかく、こうして高校生の山崎は、山梨の自宅から片道4時間かけて池袋の本部道場に通うようになった。そこで大山館長や、師範代で俳優の石橋雅史から指導を受け、腕を磨いた。
高校卒業後は上京し、働きながら本部道場に通ったが、その後、一念発起して日本大学農獣医学部に入学。ただ学生運動の激化で大学は一時閉鎖されていたため、山崎は空手の稽古に一層熱を入れていった。