極真空手、最強の使い手は誰か
そうした付き合いの中で、筆者は館長に「極真会館で一番強かったのは誰ですか?」と聞いたことがある。
そのとき、筆者の頭の中には、巨漢で「熊殺し」の異名を持つウィリー・ウィリアムスや、小柄ながら技が多彩で超人的な跳躍力で見る者を魅了したウィリアム・オリバー、本部道場で指導をしていた英国人のハワード・コリンズなどの名前が浮かんでいた。
だが、館長は熟考しているのか、黙り込んでしまった。
「空手には色々なスタイルがあるからねぇ、一番強いのは誰かと聞かれても……」
何千人もの弟子がいる館長にとっては難しい質問だったようだ。かなり時間が過ぎてから、意を決したように館長が口を開いた。
「総合的に判断すると、史上一番強かったのは山崎照朝だと思うよ」
極真会館の初の『第1回全日本空手道選手権大会』の優勝者である山崎の名前は、筆者にとっては正直、意外であった。というのも、当時、すでに引退している山崎の空手をちゃんと見たことがなかったのだ。
「背筋をピンと伸ばして巨漢の相手と立ち向かうときにも決して臆することなく自然の構えで隙がない。とにかくスピードがあって蹴りも自由自在で、一発で相手を沈めるキレも素晴らしかった。……ウンウン」
館長は自分の言葉に頷きながら山崎の凄さについて言葉を繋いだ。
「天才肌で華麗な組手があるとするならば山崎照朝だよ。流麗なハイキック、突き刺すような前蹴り、防御を攻撃につなげる絶妙なサバキをする。彼こそは空手の天才だ。あれが最強の空手家だ。人柄もいいし、相手のことも思いやる気持ちもある」
館長がこのようにベタ褒めをするのは珍しいことなので驚いたのを覚えている。筆者の頭に浮かんだ先ほどの選手たちの具体名を出したが、
「彼はここが弱点なんだ」
と具体的に指摘したのだから、弟子たちのことは把握していたのだろう。
山崎とは筆者が本部道場に出入りしているときに挨拶を交わしたぐらいで親しく言葉を交わしたことはなかったのだが、後で彼の演武をビデオで見ると館長の指摘はまさにその通りだと感じた。
その山崎は今年1月まで東京中日スポーツでコラム「山崎照朝 撃戦記」を連載していた。コラムの終了は、今年に入り胆管がんが見つかったからだろう。1月に予定していた好評だった山崎照朝の空手セミナーも中止となっていた。
息子の倍実氏は「6月22日、父・山崎照朝が永眠いたしました。享年77歳でした。胆管がんとの闘病の末、静かに旅立ちました」と報告し、続けて「病と闘う中でも、父は最後まで一切弱音を吐くことなく、周囲に気遣い、毅然とした姿勢を貫いてくれました。その強さと優しさは、家族にとって何よりの支えでした。取り急ぎのご報告となりますが、どうか父の冥福をお祈りいただけましたら幸いです」とSNSで報告した。
大山館長の死後、極真会館が複数の分派に分裂してしまったことは御存知のことであろう。古くからの極真OBは大山館長の没後に組織が分裂することを見越して「照朝さんが後を引き継ぐのが一番い相応しい。人望もあるし、彼が後継者となったら分裂することもないのだが」と話していたことを思い出す。
残念ながらそうはならなかったが、山崎が極真空手の美しさ、凄さを体現できた男であったのは確かだろう。
(文中一部敬称略)