行ったら戻るのが公共交通

 それは車両の運用を考えるとわかりやすい。元の出発地にバスが戻ってこなければ、次の往復のサービスを提供することができないし、乗客を乗せずに回送させれば、収入はなくなるが、かかる費用は同じである。

 運転士の行程を考えても同様だ。目的地で運転士を何時間もただただ待機させているわけにいかないのは、就労環境の面でも人件費の面でも容易に理解できる。出発地に戻るほうが合理的である。

 社会的な観点からだと、復路のサービスも走らせて人々の移動手段を提供するほうが合理的である。

 仮に往路は通学の生徒が主な乗客、復路は通勤や通院、買い物客だとすれば、復路のサービスを走らせなければ、10台分の自動車交通量が増えるかもしれない。せっかくなら欲張って、20人に乗ってもらえれば、さらに自動車交通量を減らせるかもしれない。渋滞対策としても環境対策としてもすぐれたものになる。

 復路がないと、自分で運転できない人は、送迎に頼ることになるか、外出をあきらめざるを得ないだろう。

 ここまでは一往復の費用で考えたが、一日単位、ひと月単位、年単位…に拡大して考えても同様のことが言える。

 このように、運用上の観点からだけ考えても、公共交通サービスは、一つ一つの列車やバスの単位ではなく、路線単位か、支線などもまとめたネットワーク単位のような、一定程度まとまった単位で考えるほうが合理的である。

 さらに考えると、燃料費や人件費、あるいは安全設備への投資やバリアフリー化への投資が経済・社会情勢の変化ゆえにかさみ、費用が5000円ではなく7000円に上昇してしまったらどうであろうか。

 上の例では全体では2000円の赤字であり、商業的にはなりたたない。近年は運転手不足が問題になるが、その解決に向けてはさらに人件費を増やさないといけないかもしれない。

 このような状況では、商業的になりたたない。しかし社会的には必要であるから、では公的財源で走らせたらどうだろうか。その際の壁として立ちはだかるのが、異なる財源の問題なのである。