バランスのよい制度設計とは

 先に、通学定期の問題について考えよう。こちらはシンプルで、社会全体で高校生の通学を誰が費用負担するのか、という問題である。

 これまでは歴史的経緯もあって事業者任せであり、それが上で述べた、他の公共交通利用者の負担のみで成り立つという構造を生み出している。しかし、高校や大学での教育の受益者は社会全体であり、鉄道やバスの利用者だけではない。

 いや、高校や大学の受益者は教育を受ける本人だ、という反論もありそうだが、そうであれば高校の授業料無償化の議論など出てこないはずである。通学の費用は、教育にかかる費用と同様に、本来は広く薄く社会全体で負担すべき費用であることは明白であろう。

 もう一つの問題である目的別のサービスは、話がやや込み入っている。サービスを目的別に紐づけて分けるというのは、それぞれの目的別の財源単体で実現可能、要するに「お財布の切り分けが楽」ということでもある。

 目的ごとに所管する省庁が違い、それゆえ財源の出どころが違うのは、日本も諸外国もおおむね同じである。公共交通を管掌するのは、日本では国土交通省であるし、多くの国ではそれに対応する省庁だ。

 しかし通学となると教育を担う省庁で、日本であれば文部科学省だ。子育て支援となれば家族政策を担う省庁で、日本では厚生労働省である。環境対策となれば環境省だ。

 さらに、公共交通にお金を出すのは国だけではない。都道府県や市町村が自らの政策判断で自前の予算を投じる、ということも十分に考えられるし、実際にあちこちで行われている。 

日本各地でコミュニティバスが走るが、その費用の大半が特別地方交付税で賄われることも多い。特別地方交付税は、国土交通省の予算ではなく、総務省の財源である

 税金の使い道の透明性がこれまで以上に求められるこんにちでは、政策を実現する側にとっては予算を目的別にきっちり分ければ透明性を保つことが容易で、行政にとっても事務が軽減される。いろいろな「財布」ごとに、さまざまなサービスを対応させて提供するのは、透明性担保において、手っ取り早い。

 ところが、公共交通にかかる費用は、厳密に1便単位で細かく切り分けようとしてもあまり意味をなさないことが多い。以下のような例を考えてみるとわかりやすい。あくまで理解のために単純化した例であり、実際はもっと複雑であることは言うまでもない。

 例えば、往路は50人乗りが満席、復路は乗車率2割で10人しか乗っていない行程のバスがあったとしよう。運行にかかる費用で大きなものは燃料代と人件費だが、往路も復路も同じである。

 仮に運賃が一人200円だとすれば、往路の収入は1万円、復路の収入が2000円である。費用は、簡単に考えるために往路も復路もそれぞれ5000円であるとしよう。

 往路と復路を別々に計算すれば、往路は5000円の黒字、復路は3000円の赤字である。往路と復路をまとめて計算すれば、差し引きで2000円の黒字である。

 では収入よりコストがかさむ復路はやめてしまえばいいかというと、そうは問屋が卸さないのが公共交通だ。