農地解放で激増した小規模農家、それを支えるために生まれた農協
日本には敗戦と同時に進駐軍がやってきて、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領統治がはじまり、日本の構造を大きく変えていった。そのひとつに「農地解放」がある。
それまでの地主と小作人の制度を廃止し、地主が所有していた土地を小作人や耕作意欲のある人に配分するものだった。農家は自分の土地を耕すべきとする自作農主義に基づく。ただし、この農地解放はGHQが主導で行った改革ではなく、日本側から働きかけて実現した唯一と言える戦後政策だった。戦前から地主制度を問題視していた政府関係者がいたことも事実だった。
戦地からの復員や、海外移住からの引き上げ、それに焼け出された都市部からの流入によって、農村部の人口は膨らみ、分配される農地は新たな就労機会ともなった。
ただ、農業をはじめるにしても、どうしていいかわからない。資材もない。そこで自作農を援助、保護する目的で誕生したのが農業協同組合(現JA農協)だった。
戦中、戦後の食糧不足に喘いでいた日本は増産体制に入り、自給率を伸ばしていく。1960年には79%(カロリーベース)のピークに達する。
ところが、時代が進むにつれて、日本は工業化していく。世界的にも工業生産性が優位となった。ここに経済的な「格差」が生じてくる。地主の農地を分けて自作農が増えたことは、言い換えれば、大規模集約経営から零細経営農家を増やしたことになる。すでに戦後復興から高度経済成長にさしかかった1950年代後半には農業の相対的優位性は崩れ、工場勤めなど都市部の勤労世帯が農業世帯の収入を上回るようになった。