
仕事に追われ、上司と部下の板挟みで苦悩する日々。それでも、家族を守り、生活を支えるために踏ん張るしかなかった。そんな会社員人生に限界を感じた45歳のとき、私はすべてを手放し、会社を飛び出した──。デンソーを辞め観光農園「ブルーベリーファームおかざき」を開いた畔柳茂樹氏の選択とは。
※この記事は『最強の農起業!』(かんき出版)より一部抜粋・編集しました。
脱サラしてやりたかった農業
多くの方からよくこんな質問を受ける、「ブルーベリー農園をやりたくて、会社を辞めたのですか」と。実際のところ、脱サラするときには「こんなことをやりたい」という方向性はあったが、具体的になにをどうしたいのか、というものはまったく決まっていなかった。
ブルーベリーについてもまったく知識も情報もなく、未知のものでしかなかった。こう話すとみなさん一様に「大胆ですね」とか「無謀ですね」と言われるが、真っ白なキャンバスに自分の理想の絵を描くような作業は実に楽しかった。
どんな農業をするかは具体的には決まっていなかったが、こんな農業をしてみたいという方向性は3つ持っていた。一つ目は「お客様と交流できる」こと。これはサラリーマン時代の反動だった。
デンソーは顧客が最終ユーザーではなく、トヨタ、ホンダをはじめとする自動車メーカー、典型的な「BtoB」の企業。お客様の顔が見えないことにいつも違和感を覚えていた。果たして自分の仕事でお客様は喜んでいるのだろうか、お客様の役に立っているのだろうか、仕事をしながらそんなことをよく考えていた。
残念なことに、サラリーマン生活20年間でお客様から感謝の言葉をいただいたことがなく、モチベーションを上げにくい仕事だと言わざるを得ない。だから脱サラしてなにもしがらみのない中で起業するなら、直接、お客様の顔が見えて交流ができる仕事にすると決めていた。
二つ目は「人と地球にやさしい」こと。長女が子どもの頃から、深刻なものではないが少しアレルギー体質であったことがきっかけだった。それに時代は地球温暖化、「不都合な真実」、ロハスなど地球にやさしい、環境に配慮することが主流になりつつあった。
どうせ新しく始めるなら、ナチュラルでシンプルな地球環境に負荷のかからない農業にしたかった。
三つ目は、「目新しく、斬新」であること。従来型の農業では、先細りであることは間違いなく、この先立ち行かなくなる。そう考えると、時代の流れを先取りした先進的な農業にしたかった。
それに、せっかくサラリーマンを辞めて農業をやるからには、他人がやっているようなことはやりたくない、新しいカタチの農業で自分が道を切り拓いていけるようなものにしたかった。