水田は日本の原風景。農業の衰退をどう食い止めるのか(写真:Dadann/Shutterstock.com)

「令和の米騒動」が続いている。政府が備蓄米を放出しても高騰した米価に下がる気配はない。有効な手を打てない政府に国民は不満を募らせている。それでなくとも衰退が続く日本の農業はどうなっていくのか。神戸女学院大学名誉教授の内田樹さんは、農業を「基幹産業」として位置づけることは、国民が自分の意思で決定できると主張する。

(*)本稿は『沈む祖国を救うには』(内田樹著、マガジンハウス新書)の一部を抜粋・再編集したものです。

ふるさとの「原風景」

 農業についてよく講演や寄稿を依頼される。私自身は都会生活者で、農業とはほぼ無縁の生活を送っている人間である。だから、私に農業のことを訊きに来るのは「現場のことはよく知らないけれど、日本の農業のさきゆきに強い不安を抱いている人間」の意見も(参考のために)聴いておきたいということなのだと思う。

 だから、以下に私が書くことは、ふつうの農業関係者がまず言わないことを、まず用いない言葉づかいで語ることになる。そういう視点からも農業の重要性と危機を語ることもできるのだということをわかって頂きたい。

 私は1950年、戦後5年目の東京の多摩川のそばで生まれた。駅から多摩川の河川敷まではかつて軍需工場とその下請けが立ち並んでいたところで、B29の爆撃でほとんど廃墟となった。そのあとに人々が住み着いたのである。

 私の家の前には「原っぱ」があった。春には菜の花が咲き、秋にはススキが揺れる、遠目にはきれいな場所だった。でも、子どもが足を踏み入れるのはかなり危険だった。焼けて折れ曲がった鉄骨や壊れたコンクリートの土台やガラス片が草の下にひろがっていて、うっかり転んだり、踏み抜いたりすると、ひどい怪我をするリスクがあったからである。

 軍需工場の醜い焼け跡を豊かな緑と草花が覆いつくしているというのが、私にとってのふるさとの「原風景」である。宮崎駿の『天空の城ラピュタ』を観たときに、科学の粋を尽くして設計された天空を飛行する巨大艦船ラピュタが、乗員を失って無人のまま何世紀も飛行しているうちに、草花と木々に覆われた「空飛ぶ庭園」のようなものに変化してゆくという物語に既視感を覚えたことがあった。あるいは宮崎駿にとっても、「兵器を覆う緑」という図像が戦後の原風景だったのかも知れない。

「兵器を覆う緑」というのは、敗戦後、焦土となった日本に育った子どもたちにとって、もっとも身近で、そしてもっとも心休まる風景でもあった。その風景は「もう戦争はない」という現実だけでなく、「緑は人間の犯した愚行や非道をすべてを静けさと平安のうちに回収する」という植物的なものへの信頼と親しみの感情を醸成した。少なくとも私においてはそうであった。