失われてしまった「農業の比喩」
1950年の日本の農業人口は1613万人。日本の人口が8400万人だった時代に総人口の20%が農業従事者だった。2024年の農業人口は88万人。1億2500万人の0.7%に過ぎない。敗戦後の日本では「食物をつくる」ことが最優先だったから、この数字は当然だと思う。そして、農業が基幹産業である社会では、あらゆる場面で農業のメタファーが用いられた。私が都会の子どもであったにもかかわらず、農業に親近感を持つのは、農業の用語で育てられたからである。
学校教育はほとんど農業の比喩だけで語られた。子どもたちは「種子」である。教師は「農夫」である。水をやり、肥料をやり、病虫害や風水害から守り、やがて収穫期になると「実り」がもたらされる。ほとんどは自然任せであるから、人間が工程を100%管理することなど思いもよらない。そもそも秋になると何が、どの程度の収量収穫できるのかさえ事前には予測できないのである。どんなものでも実ればそれは「天からの贈り物」である。
私たちはそういう植物的な比喩の中で育てられた。だから、教師がガリ版刷りしていた学級通信の題名は多くが「めばえ」とか「わかば」とか「ふたば」とかいう植物的語彙から採られていた。誰もそれが変だとは思わなかった。
基幹産業が変わると、「価値あるもの」が何かについての社会的合意も変わる。私が1960年代に経験したのは、「価値あるもの」を言い表すときに「農業の比喩」を使う習慣が失われたことである。でも、その時には気づかなかった。
基幹産業が重工業に移行すると、人々は「重さ」や「量」や「速さ」で価値を言い表すようになり、基幹産業がサービス業に移行すると「効率」や「生産性」や「汎用性」で価値を言い表すようになり、さらに産業が高次化すると、もう語彙がなくなってしまって、あらゆるものを「貨幣」に置き換えて言い表すようになった。
だから、今は子どもたちを育てるときに、(にべもない言い方をすれば)大人たちは「この子は将来いくら稼ぐか」というものさしを使う。もう、それしか使わなくなった。子どもたちにとってはまことに不幸なことである。