見る前に、跳べ

 外で指をくわえて見ていても、何も面白くないんです。まずやってみる。これは数学や物理でも同じことで、全く変わりません。

 私の理学部物理学科での指導教官、小林俊一先生(1938-2025)は「実物教育がよろし」とおっしゃって、最低限の基礎を教えたら、実際にセットアップに触れさせ、実験、測定して「物」のコトワリとしての「物理」を体感させ、それから複雑な理論に触れた方が、学習効率が良い以上に、細部の重要な差異に気がつき、新たな発見などにも感覚の立つ学生が育つことを熟知しておられました。

 親研究室の伝統にしたがい、私のラボでも、必ず修士1年次で、自分が進めるプロジェクトの基本的な道具を自作します。

 自作のセットアップで、かつて人類が一度も触れたことがない内容を慎重に調べれば、出てくる成果はすべて国際原著、オリジナルですから、価値あるものがあれば、大きな魚を釣り上げることができる。

「なにか、デカいことをやってやろう」とか「なんとか賞が欲しい」ではないのです。

 実際に手を動かす過程で、ふと気づくかもしれない、極微の差異。そこに世界をひっくり返すかもしれない、人類の大きな宝物が潜んでいる。

 大言壮語はいらない。実際に手に触れ、耳を澄まし、感覚のアンテナをピンと立てて、世界と触れ合う歓びを感じ考える。

 私が音楽から文芸、物理まで、親も含め様々な師から受けた教育は「恵まれた環境を用意しつつ、その中で放し飼いにして、決して大人があれこれ手を突っ込まない」という基本原則に貫かれています。

 別段特殊な話ではなく、1920年代、日本でいえば大正デモクラシーの時期、欧州でも我が国でも広く行われた、オーソドックスな創意工夫の伸ばし方を、今の時代に立ち現れて来た道具立てで再現している。

 いつか来た道にほかなりません。

 2025年、「生成AI」こと、大規模言語システムなどを駆使して、新しい世代が創意と出会う瞬間。

 ちなみに、そんな話題をジョン・ケージやシュールレアリズムと「尾上柴舟」でつなぐというと、飛躍を感じられるかもしれません。

 しかし、そうでもないのです。

 ティーンだった尾上八郎は「雅号を考えよ」と言われ、特段思いつかなかったので辞書を取り出して、バラバラとランダムにめくり、ペンを挟んで偶然選んだ文字が「柴」だった。

 次にもう一度ランダムにめくって、もう一つペンで指して出てきたのが「舟」。

 そこで「柴舟」という古典籍に存在しない新しい雅号を、偶然性に任せて選んでみた。

 いまで考えるなら、生成AIの「チャットGPT」に雅号を出力させたようなものと言えるでしょう。

 だから、こんなことを考えたのです。

 ご興味の方で交通の便がありましたら、ぜひ、東京都美術館までお運びください。歓迎いたします。