カンカン・ランランの来日は日中国交正常化を契機に

 第2次世界大戦後の国共内戦を経て、1949年に現在の中華人民共和国が建国されると、パンダを友好国のソ連や北朝鮮などに贈って「パンダ外交」を展開した。

 戦後の「パンダ外交」が最も成功したのは、1972年にリチャード・ニクソン米大統領が電撃訪中を果たした際にアメリカに贈った玲玲(リンリン)と興興(シンシン)。および、同年に田中角栄首相が訪中して日中国交正常化を果たした際に日本に贈った康康(カンカン)と蘭蘭(ランラン)だ。

1972年、日本にやってきたランラン(左)とカンカン=上野動物園(写真:共同通信社)

 康康と蘭蘭は上野動物園で公開されるや、日本中にパンダブームを引き起こした。当時、幼少だった私も、親に手を引かれて上野動物園に行ったが、初めて見るパンダよりも初めて見たものすごい人混みに圧倒された記憶がある。

 アメリカと日本の後も、フランス(1973年)、イギリス(1974年)、メキシコ(1975年)、スペイン(1978年)、西ドイツ(1980年)と「パンダ外交」は続いた。

 だが中国は、1982年にパンダの贈呈をストップする。自然保護のためとしたが、私は、贈呈したパンダ同士が他国で交配し、増殖していくのを防ぎたかったのではないかと見ている。各国でどんどん増殖していけば、中国の「パンダ外交」の価値は薄れるからだ。

 そこで中国は、前述の1994年の白浜町「アドベンチャーワールド」のケースから、「共同研究のための貸与」とした。貸与機関は10年で、各国は毎年100万ドルの「賃貸料」を中国側に支払う。パンダが途中で死ねば、遺体も中国に返還する。もし子供が生まれたら、子供の「賃貸料」は毎年60万ドルで、満2歳になった時点で中国に返還する。これらを基本条件としたのだ。