パンダ外交の先駆けは蒋介石夫人の宋美齢
中国の「パンダ外交」の歴史は19世紀後半に遡る。『中国パンダ外交史』(家永真幸著、講談社選書メチエ、2022年)によれば、パンダの語源は「笹(ささ)を食べるもの」というネパール語という説があるという。中国四川省の山奥にのみ生息するが、地元民は食肉としても毛皮としても価値が低いため、「白熊」と呼んで関心を抱いてこなかった。
明治維新の翌年にあたる1869年、地元で布教活動を行っていたフランス人宣教師のダヴィド神父が、パンダの毛皮と骨を、フランス国立自然史博物館に送った。そこからヨーロッパで、関心が高まっていった。
アメリカでは1936年、服飾デザイナーのルース・ハークネスが、初めて生きたパンダをシカゴのブルックフィールド動物園に持ち込み、大ブームを巻き起こした。
これに目を付けたのが、中国国民党政権の蒋介石総統の宋美齢夫人だった。1937年7月に日中戦争が始まると、同年年末に首都・南京が、日本軍によって陥落。国民党軍は四川省方面に退却する中で、宋美鈴夫人がパンダをアメリカに持ち込むことで、武器援助を獲得しようとしたのだ。
折りしも、1941年12月に日本軍が真珠湾を攻撃して、太平洋戦争が勃発。2頭のパンダは、真珠湾攻撃の負傷者移送の第一便と同じ船で、サンフランシスコに移送された。この2頭がニューヨークのブロンクス動物園で公開され、大いに米中友好の士気を高めた。