国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)も同様に、先週の時点でUNRWAによる小麦の配給も尽きたと発表しています。UNRWAによれば、ガザの外では3000台のトラックが人道支援物資を搭載していつでもガザに入域できる体制を整えているにもかかわらず、その一台もガザへの入域がかないません。UNRWAのラザリニ事務局長は、政治的動機による飢餓であると批判し、改善に向けて早急な対策を求めています。

 ガザでの停戦合意が失効した3月2日以降、イスラエル政府によっていかなる支援もガザへの入域が許可されない状況です。同時に、ガザの外に待機している支援物資を積載したトラックはイスラエル政府がガザへの入域を許可しないために、一切支援を送れない状況にあります。5月2日までハーグの国際司法裁判所では占領国であるイスラエルが負うべきパレスチナへの人道支援に関する義務を問う公聴会が行われました。そこでも米国とハンガリーを除き、国連代表やパレスチナ代表を含め38の代表のいずれもが、イスラエルの人道的な国際法上の義務を厳しく指摘しています

 このような中で、先週末には世界各地の大都市でガザのパレスチナ人を支援する抗議運動も行われています。イスラエルおいても、イスラエル人人質の解放を求めるデモに加えて、ガザでの飢餓を憂うデモがイスラエル人自らによって行われています。

 そうした抗議運動の中でも、ホロコーストのサバイバーである80歳になるヴェロニカ・コーヘンさんたちの静かな言葉は、実に重く響いていました。4月24日というホロコーストの犠牲者を弔うホロコースト記念日の当日、エルサレムの「ヤド・バシェム」(ホロコースト記念館)の前で、「私たちが他者に対する慈愛を失うならば、私たちは人間性(humanity)を失ったことになる」という垂れ幕の前で、ヴェロニカさんは次のように語っています。

「私たちにも責任がある、1万人以上もの子供たちの死や今も続く飢餓、そうしたガザの苦しみを認めずに私たちの苦しみを記憶にとどめることなどできないのよ。それは私のハートの同じ場所にあるの」(ガーディアン紙から引用)

 イスラエルでは、彼女のように自らの痛みと他者の痛みを重ね合わせることができるイスラエルの人々は、もはやマイノリティになったのかもしれません。多くのユダヤ人を救った杉原千畝や樋口季一郎が生きていたら何と言ったことでしょうか。

なぜ停戦合意が崩れたのか

 それでは、なぜこのような悲惨な状況が生じているのでしょうか。

 一言で言えば、2025年1月に合意されたイスラエルとハマースの間の停戦合意が3月2日以降、崩壊したことにあります。この日以降、イスラエルはガザへの食糧や医薬品全ての支援物資の搬入を許可していないのです。一切の人道支援が停止して60日が過ぎたのです。