ガザ地区南部のハーン・ユーニスで支給される食料を待つ子供たち(2025年4月29日、写真:ロイター/アフロ)

(松本 太:一橋大学国際・公共政策大学院教授、前駐イラク大使、元駐シリア臨時代理大使)

 あなたが住む町の隣の町で、210万人に及ぶ人々が家を無くし、もはや食糧や水が尽き果て、飢餓による死が目前に迫っているとするならば、あなたはどうしますか。おまけに、その隣の町は高い壁で隔離され、支援物資を届けることすらできないとしたら。そして、その災難の原因が自然災害ではなく、圧倒的に理不尽な人災であるとしたら。

 それがガザの現状です。4月25日にガザへの食糧支援を担ってきた国連世界食糧計画(WFP)は、ガザにおける最後の食糧の備蓄を配布したと発表しているのです。数日中にもWFPが支援してきた温かい食糧を提供する「キッチン」の食料が枯渇すると警告しています。

 大多数のガザの庶民にとっては、高騰する食料品を購入することはできず、国連などの外部からの食糧支援に頼ってきた事実をふまえると、イスラエルが人道支援物資のガザ搬入を許可しなければ、極めて近いうちにガザで多くの餓死者が出ることが確実な状況です。

 筆者は、オスロ合意後の1997年から98年にかけて、最初の日本政府代表事務所の開設のために、当時何度もガザに足を運び、日本によるガザ支援を議論するためアラファト議長とも何度も顔を合わせたこともあります。当時、ガザが、このような惨劇を将来迎えると予想することは実に困難でした。筆者の記憶に残るガザは、大したインフラもなく貧しいとはいえ、眩しい陽の光を浴びてガザの海岸で遊ぶ子供たちや、和平の果実を確固とすべくガザの再建に向かう人々の明るい姿なのですから。

食料が尽きたガザと抗議する世界の人々

 3月末には、ガザにおけるWFPによる小麦や料理用燃料の配給もすでに停止しています。4月25日付のWFPによるガザの食糧事情を撮影したビデオは、倉庫の食糧備蓄が尽き、小麦が亡くなったパン屋が閉店している様子を映しています。