悲願の“日の丸”が近づいた鈴木

 優勝した鈴木は社会人2年目。駒大時代は2年時(21年)の日本選手権10000mで3位(27分41秒68)に食い込み、「世界の舞台」を意識するようになったという。しかし、その後は疲労骨折に苦しみ、2年時の箱根駅伝は8区で区間18位に沈んだ。

 その“責任”を強く感じた鈴木は「世界」という目標を直視できなかったという。

「学生時代はチームに迷惑かけてきたので、とにかく三大駅伝で恩返ししたいという思いがありました。正直いうと、世界に目を向けられなかった部分があったんです。でも、昨季から社会人になって、そういう部分がなくなりました。自分の結果を追い求めて1年間やってきて、その成果を出せたかなと思います」

 3月16日のエキスポ駅伝に出場した吉居や太田智樹と異なり、鈴木は3月中旬から駒大・大八木弘明総監督が指導するGgoatの米国・アルバカーキ合宿に参加。日本選手権10000mに向けて仕上げてきた。そしてレースではパリ五輪代表のふたりを警戒していたという。

「そんなに速くならないと思っていたので、とにかく勝負だけを考えていました。太田さんは後ろにいたので、前にいた葛西さんを徹底的にマークしました。ラストスパートは自分のスピードが上がっていたから出せたというより、終盤まで余裕を持てたことで出せた。そこが成長できた部分かなと思います」

 鈴木は大学1年時の日本学生ハーフマラソンで2位に食い込み、2021年の夏季ワールドユニバーシティゲームズのハーフマラソン日本代表の座をつかんだ。しかし、新型コロナウイルスによる渡航制限で延期になり、“幻の日本代表”になっている。

 苦悩のときを越えて、日本選手権で優勝を果たしたことで5月下旬に行われるアジア選手権(韓国・クミ)の10000m代表が濃厚になった。そこでワールドランキングのポイントを稼ぐことができれば、東京世界陸上もグッと近くなる。今後はゴールデンゲームズ(5月4日)の3000mと日本選手権(7月上旬)の5000mにも出場予定。10000mだけでなく、5000mでも東京世界陸上を狙っていく。