元遊女と元フーゾク嬢の違い

 さて、男は遊女を身請けして、その後はどうしたのだろうか。

 もちろん、妻にしたのである。妻帯者の場合は、囲い者(妾)にして、別宅に住まわせた。

 とくに吉原の花魁を身請けして妻にした場合、男は前歴を隠すどころか、「吉原の○○屋で、お職だった」と自慢した。「お職」とは、その妓楼の最高位の遊女のこと。

 また、人々はそれを知って、うらやましがった。男も女も、「さすが元は吉原の花魁(おいらん)だけあって、色っぽいね」「やはり違うね。どことなく粋だね」などと、ほめそやした。

 元遊女だからと言って、蔑視することも差別することもなかった。江戸の庶民は、素人に戻った元遊女をあたたかく迎え入れていた。

 しかし、これは現代に置き換えると、かなり奇妙な感覚である。

 現代、男がフーゾク店に通ううち、あるフーゾク嬢と恋に落ち、結婚したとしよう。このとき、男が友人に、「妻は○○のソープランドでナンバー・ワンの売れっ子だったんだぜ」などと自慢するなど、あり得ない。

 結婚式でも新婦を、ある企業で勤務していたと紹介し、ソープ嬢だったことは秘密にするはずだ。この違いは、要するに遊女とフーゾク嬢が同じではないことに帰結するであろう。

 現在、フーゾク嬢は自由意志と自己責任で、その職をえらんでいる(一部に悪質な強制はあるにしても)。

 ところが、江戸時代の遊女は、自分で望んで遊女なったのではなかった。ほとんどは、貧しい親が娘を売り、その結果、遊女になったのである。

 当時、遊女は「親孝行をした女」と言われた。要するに、自分が身売りすることで親の経済的な窮状を救ったからである。

 こうした事情は社会的な常識だったため、元遊女だった女を人々は差別しなかったし、蔑視もしなかったのである。

図2『結合縁房糸』(尾上菊五郎著、文政六年)、国立国会図書館蔵

 図2は、身請けされた吉原の遊女が駕籠で去っていくところ。大勢の遊女が見送りに来ているが、大門のところまでである。遊女は大門から外には一歩も出ることを許されていなかったからだ。みなは、身請けされた女を心から祝福していた。

 戯作『四季の花』(不明、文化十一年)に、次のような記述がある。

 遠き田舎より売られてきて花魁となり、よき客に請け出され、思わぬ玉の輿に乗るもあり。田舎におらば一生、土をほじりて暮らすべきを、親に売られて出世するも、人の運にこそ。

 田舎にとどまっていたら、同じ村、あるいは近在の村の農民の女房となって一生を終えていたろう。身売りして遊女となったことで、裕福な男に身請けされたのである。

 人生に運の面があるのは事実であろう。ごく少数ではあれ、身売りされることで、結果的にしあわせをつかむ女はいた。

 (編集協力:春燈社 小西眞由美)