神社仏閣と町屋で異なる木材の使い方

 日本の木造建築に戻ると、歴史的に日本の都市部では「破壊消防」が基本で、いったん火事になると町屋は引き倒されて延焼を防止していました。

 幕藩体制期の寺社仏閣、武家や商家が用いてよい木材の違いなどは詳しくありませんが、煩く細かな決まりがあったはずです。

 要するに庶民の家は「安普請」が当たり前だった。戦後、焼け跡の日本に林立したバラックも、そのような典型だったと思います。

 1300年保つ「法隆寺」のような宮大工の仕事と、一般の民家とは、使用する材も、工法も全く違っています。

 歴史を遡れば、伊勢神宮だって20年に1度「遷宮」といってすべてを作り替えるわけですが、これだって(かつて提唱された「天地根元宮造」ではないにしろ)、より簡素で傷みやすい、寿命20数年くらいの木造建築物を建て替え続けていたもの、と解釈されます。

 さて、いろいろ背景の確認に手間を取りましたが、私のラボが入っている建築物の「木材」を確認してみましょう。

 一見して「白木」で作られていることが明らかですから「白太」つまり丸太の周辺部「辺材」が用いられています。

 木目は、すでに確認した通り「等高線」のような模様ですので「板目」つまり比較的安価な材を用いており、結果的に多数の「節」を含むことになります。

 この「節」の部分は、木が切り倒された時点で既に生理活性を失っている場合があり(死節=しにぶし)、そこから先に痛んでおく場合もあるようです。

「板目」かつ「節」の入った「エコノミック」な部材が多用されている。東京大学ダイワユビキタス棟にて

 また「辺材」は木の上部に水や栄養を送るパイプの役割を果たしているので、柔らかく、養分に富み、微生物の住処にもなりやすいはずです。

 実際(それが何なのか、正体は分かりませんでしたが)コケなのか地衣類なのか、カーペット状に緑の植物が生えているエリアも見つけました。

建物の角、最も風雨に晒されるエリアは力強く苔むしているかのようだ。東京大学ダイワユビキタス棟にて

 さて、法隆寺から町火消まで考えても、この種の「辺材」が雨ざらしになった構造の「木部」は、20年程度で「遷宮」する伊勢神宮の伝統に倣うのが適切な気がします。

 隈研吾さんの「木造風味」建築は、伊勢神宮の顰(ひそみ)に倣って「20年で建て替えが鉄則」と考えれば、栃木の「那珂川町馬頭広重美術館」(25年で全面改修)も、高知の「雲の上ホテル」(27年目で取り壊し、現在はさら地)のケースも、この原則に照らして、キレイに寿命の説明がついてしまうように思われるのです。