
(髙城 千昭:TBS『世界遺産』元ディレクター・プロデューサー)
ベル神殿は消え、円形劇場では25人を射殺
遥か昔のシルクロードの夢に引き込まれる1枚の絵がある。日本画の巨匠・平山郁夫が、2006年に描いた「パルミラ遺跡を行く・朝」だ。オレンジ色に煙るシリア砂漠を、黒いベールをかぶった女性たちがラクダの隊商をつらねる。その背後に、幻のごとく聳え立つオアシス都市パルミラ。アーチ状の凱旋門と列柱がつづく美しさは、旅人の心をとらえ長旅を癒しただろう。
現実の光景もまた、このイメージを裏切らない。アジアから地中海へと向かうキャラバンは、ユーフラテス川沿いの城塞を出ると、広大なシリア砂漠を横切ることになる。果てしない白茶けた荒れ地を、蜃気楼のかなたに向かう。すると200km進んだ砂漠の中間地点に突如、そこだけナツメヤシ林のあふれる緑に囲まれた小高い丘があり、ベル神殿が佇んでいた。まさに幻影を想わせる街が、中東のシリア・アラブ共和国にある世界遺産「パルミラ遺跡」(登録1980年、文化遺産)だ。
パルミラという名は、ギリシャ語でナツメヤシを意味する「パルマ」に由来する。古来、栄養価が高いナツメヤシの実(デーツ)は、遊牧民の命を支えてきた。その上ここには、地下水がたっぷり湧き出す。シルクロードの拠点として古代都市パルミラは、紀元前1世紀から400年にわたり繁栄を謳歌したのだ。
だが旅人たちが目を瞠り、息をのんだ光景はもう無い。2015年にIS(イスラム過激派組織、いわゆるイスラム国)によって爆薬がし掛けられ、パルミラは粉々に破壊された。跡形もないほど損傷したのは、平山郁夫が筆をとった凱旋門と2つの神殿(ベル、バール・シャミン)である。彼らは、異教の神々をまつる神殿はイスラム教が禁じる「偶像崇拝」を増長するものだと、破壊の名目をそう主張した。
大地の神ベルに捧げられ、紀元32年に建立されたベル神殿。それは都市の中核であり、街の入口・凱旋門から1.3kmのメインストリートで結ばれている。道の両脇には、かつて750本もの列柱が立ち並んでいた。そんな神殿が、玉座もアラベスク風の文様もまるごと崩れ落ちた。が、わずかに門だけが残り……瓦礫の山からスックと立つ姿は、日本の鳥居にも似て、私には結界を張っているかのように見えた。
ISは破壊にとどまらず円形劇場では、シリア政権軍兵士25人を横一列に座らせステージ上で処刑した。まだ10代とおぼしき戦闘員を一人ずつ後ろに立たせ、銃で射殺させたのだ。このとき残虐な大量処刑をカメラで撮って、動画を公開さえしている。数千人を収容する観客席があり、円柱で彩られた華麗な背景をもつ古代ローマ様式の円形劇場は、“血塗られた舞台”と化してしまった。悲痛で言葉もない。