日米地位協定ができた経緯は?
第2次世界大戦の敗戦国だった日本は1951年9月、サンフランシスコ講和条約(平和条約)を締結し、1952年4月の発効で独立を果たしました。連合国軍による占領を終結させ、国際社会に復帰したのです。
その際、同時に発効したのが日米安全保障条約です。安保条約は、日本の独立後も日本国内に米軍が駐留することを認め、米軍の力によって日本や東アジア地域の平和と安定を確保しようというものでした。
このとき、日本に駐留する米軍が日本でどのような位置づけにあるか、法的にどんな権限を持つかを具体的に定めた協定も結ばれました。それが「日米行政協定」です。
行政協定は占領軍とほぼ同じ権利を在日米軍に与えるものでした。具体的には、占領軍によって接収・使用されていた日本側の施設(飛行場や港湾、主要な建物など)について、米軍がそのまま無償で利用することを容認。日本側の制約を受けることなく国内を自由に移動できる権限も与えました。
物資や労務などを優先的に米軍に提供することも約束。さらに米軍の兵士や軍属、その家族らの犯罪に関しては、日本側に裁判権がないという不平等な内容でした。
サンフランシスコ講和条約で独立を果たしたものの、日本は引き続き、米軍に多大なる自由を与えたわけです。しかも当時の吉田茂内閣は国会で審議することなく、同協定を締結しました。
この行政協定は、1960年の日米安全保障条約の改定に併せて内容を見直すことになり、新たな協定として「日米地位協定」が結ばれました。旧安保条約は、米軍には日本防衛の義務がないという片務条約でした。一方、新安保条約では、米軍は日本防衛の義務を負うこととなり、その趣旨に沿って行政協定も改めることになったのです。
しかし、行政協定が地位協定に代わっても、日本に不利な内容が数多く残されました。そして地位協定は現在に至るまで、60年以上も一度も改定されず、現在に至っています。