震災当時、大学生だった竹内は学生ボランティアを組織して神戸に入り、避難所で暮らす子供たちの遊び相手や震災遺児のケア、受験生の学習支援などを1カ月にわたって行った。活動記録と写真が彼のホームページに残されている。その経験ゆえか、災害対策や被災者支援への関心は強かったと妻は言う。議員になってから、県内の豊岡市や佐用町で起きた水害でボランティア活動をした記録も竹内のサイトにある。
そして、斎藤に対しても震災に絡めて知事の職責を問う質問をぶつけていた。
知事就任から半年後、2022年2月の県議会初日に斎藤は震災時の知事だった貝原俊民の言葉を引用した。「知事の責任は県民の命はもちろん、県土の一木一草にまで及ぶ」——。公職者としての使命感と矜持を語った言葉だ。「私もしっかりと継承する」と斎藤は決意を述べていた。
これに対し、少なくない職員が違和感を持っていると竹内は指摘した。斎藤は、貝原が後年まで悔やみ続けた初動遅れの教訓を生かさず、県庁から離れた場所に住み、危機管理部門の職員にすら、プライバシーを理由に住所を明かさず、緊急時の専用回線も引いていない。ワークライフバランスの重視もいいが、知事は職員よりはるかに重い責任を負っている。「一木一草」と言うのなら危機管理を優先し、県庁の近くに住むべきではないか、と。
告発文書を予見するような過去の議会質問
そして続く部分では、「折檻」という漢語──臣下が主君を厳しくいさめること──を引きながら、斎藤の側近政治や職員とのコミュニケーション不足を指摘した。まるで、告発文書の内容と現在にまで至る県政の混乱を予見するかのように。竹内のブログから質問原稿を引用する。
〈知事には折檻してくれる人、苦言を呈してくれる人はいますか。「一木一草」を提案理由説明に入れると、批判が出るかもしれないと教えてくれたり、苦言を呈してくれる人を近くにおいてください。
私が僭越にも提案するならば、宮城県や総務省関係の自らが知事就任前から知っている幹部だけでなく、胸襟を開いて、色んな意見や感覚をもった職員とも仕事や仕事以外でも話し合う機会をもって、もう少し幅広く交流されたほうがいいのではないしょうか。ときに今日の私のように僭越ながら「折檻」する、うるさい人の意見にも耳を傾けてほしいと思います〉