先月の『週刊東洋経済』(12月7日号)が、「商社 迫られる転換」という36ページに及ぶ大特集を組み、岡藤CEOのロングインタビューも掲載しているが、中国についてはひと言も触れていない。代わって、同社の石井敬太社長が、「中国への新規投資を控える決断」について認め、こう答えている。
「(新規投資は)基本的には難しい。今、積極的に投資対象を探していこうとは思っていない。ただCITICとはコンタクトを取り続けており、情報を得て『変わり目』をしっかり捉えていきたい。(中略)中国国内消費は低迷するから、生産したものは安値でも近隣諸国や中東、ロシアなどに出していくことになる」
昵懇だった宝山製鉄との関係見直し
一方の日本製鉄も、中国と深い縁のある会社だ。1978年10月、改革開放政策ののろしを上げるため、鄧小平副首相が、戦後中国で初めての要人として来日。日本製鉄(当時は新日鉄)の君津製鉄所を視察し、「ここと同じ製鉄所を中国に建設してほしい」と三顧の礼で頼んだ。

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そこから日本製鉄の全面協力によって、中国初の近代的設備を備えた上海宝山製鉄所(現・中国宝武鋼鉄集団)が建設された。1985年に高炉に火入れするまでの苦難の過程は、作家・山崎豊子が『大地の子』で、余すところなく伝えている。2004年には、日本製鉄と宝山製鉄が合弁会社を中国に設立した。
ところが橋本CEOは、社長時代の2021年10月、この時はすでに世界最大の鉄鋼メーカーに成長していた中国宝武鋼鉄集団を、特許侵害で訴える決断をした。さらに昨年7月には、中国宝武鋼鉄集団傘下の宝山鋼鉄との合弁事業から撤退すると発表した。長年にわたる宝山との協力関係を全面的に見直し、中国の鋼材生産能力を7割削減するとしたのだ。そして自社の資金と能力を、USスチールの買収とアメリカ市場開拓に傾けようというのである。
橋本CEOは、前述の1月7日の記者会見で、CCTV(中国中央テレビ)の女性記者から、「アメリカは同盟国の日本をも顧みないことが証明されたのではないか?」と意地の悪い質問を受けた。だが、「この会見はそういうことを話す場ではない」と、ピシャリとはねのけた。
このように、岡藤会長と橋本会長の共通点は、いかに自社が中国と歴史的に深く関わっていても、中国経済が悪化していると判断したら、「合理的な大英断」が下せるということだ。ともに「あっぱれ」である。
このような「昭和の野武士」のような経営者が、いまの日本企業に求められているのではないか。トランプ、プーチン、習近平……と、世界には海千山千の「猛獣」があふれているのだから。