4.第2段階:ドニプロ川中流域東部から黒海に面する領域の占領案

 第2段階は、侵攻1か月後から同年の12月までの期間である。

 ロシア軍は侵攻1か月で、作戦の齟齬、兵站支援の困難性、空挺作戦等の失敗から首都キーウ攻略を諦め、キーウ攻略の部隊を東部や南部に転用した。

 具体的には、ハルキウを含むドニプロ川東部やザポリージャ州やヘルソン州、オデーサを含む南部領域に攻勢をかける案に変更した。

 この構想は、ロシアが黒海沿岸部すべてを占拠して、ウクライナに黒海からの進出を途絶させ、ウクライナを内陸国に閉じ込め、ウクライナ第2の都市を占拠するものであった。

 ロシアとしては、戦線を縮小して東部南部に戦略を集中し、その地域の攻撃進展を図ってこの領域を占拠すれば、目標を十分に達成できると考えたのだろう。

 現実には、オデーサやドニプロ川東部域の占拠を除き、概ね達成できつつあった。

図2 ドニプロ川中流域の東部域から黒海にかけての占領構想(推測)

出典:米戦争研究所(2024年4月20日)の地図に筆者が書き加えたもの 。ピンク色部分はロシアによる占拠地域、青色部分はウクライナが奪還した地域

 この段階でも、ロシア軍は、広大な地域において戦ったのだが、比較的損失は少なかった。
 
 その後、ロシア軍はウクライナ軍から攻撃を受け、ハルキウやへルソンから撤退したのだが、その損失は0.5万~1.5万人であり、この戦争の期間では、最も少なかった。