神の怒りを買ったユダヤ人たちの行く末
しかし、モーゼの怒りは収まらなかった。なぜならば、脱出して来たエジプトでは牛は神格の象徴、力の象徴として崇め奉られており、そのエジプトこそは偶像を崇拝する偶像崇拝者の国であったからである。
偶像崇拝者の国から脱出して来たユダヤ人が、エジプトの軍事力を象徴する力の神の牛の像を自ら作り、それを崇め奉り、その周りで踊り狂っていたのでは、何のためにエジプトから脱出して来たのか。まったく意味のない脱出紀行であることになってしまう。
エジプトからの脱出は物理的・地理的な脱出のみならず、偶像崇拝者の国からの脱出でもあった。つまり、いっさいの偶像を崇めない絶対抽象の存在である空なる神、絶対無なる神を信仰することを意味していたのだ。
ユダヤ人達がそう誓ったために、神は数十万から百万人以上ともいわれるユダヤ人をエジプトの地から助け出されたのだったが、その神の意向に反して、あろうことか偶像崇拝国エジプトの軍事力、武力を象徴する牛の偶像を作ってそれを崇め奉っているという。
完全に堕落したユダヤ人達に対して、モーゼは、神が十戒の教えを刻んだ大切な石板を投げつけて怒りを爆発させたが、神もこれを見ておられた。モーゼ以上の怒りをもって彼らユダヤ人の立っている地面を割られて、この重大な違反を犯した者をすべて地中深く滑落死させたのである。
この時の神の怒りは実に激しく、この金の牛の像の付近では地面がいくつにも割れた。踊り狂っていたユダヤ人も、そして金の牛の彫像も、すべてマグマが赤く燃え盛る地球の中心に向かって滑落し、焼け死んでしまったのである。
無論、この踊りの輪に加わっていなかったユダヤ人達は滑落することはなく命を助けられ、神の教えを守る、つまりいかなる偶像も崇拝しない純正ユダヤ人として、これからの長い長い砂漠の旅を経てイスラエルの地にたどり着くことが許されるのである。
この絵を見て、我々ユダヤ人は、ユダヤ教における偶像崇拝の禁止を徹底的に教えられる。