メディア都合の「切り取り」が招いた自業自得

 スポーツの取材現場では、テレビカメラが入る「オン」と、入らない「オフ」の取材に分けられることが通常だった。選手や監督はカメラの前で取材に応じた後、カメラが入っていない状況で発言の真意などをより本音で語る。俗に言う「囲み取材」だ。

 記者と取材対象である選手や監督は、テレビに流れない「囲み取材」であれば、「ざっくばらん」に語りやすく、記者も真意を聞き出しやすい。選手や監督からも「ここまでは書いてほしくないですが」「さっきの発言はちょっと言い過ぎたので、表現を変えたい」などということも「オフの取材機会」だからこそ可能となり、その分だけより深い内容に踏み込んだり、打ち明けてくれたりする。

 記者もここで聞いた情報を元に、さらに関係者への取材を掘り下げて、テレビの前で発したコメントの背景を裏付けたり、把握したりして、より深みのある記事につなげる。それこそが、発言の趣旨や背景に迫る「記者の目」「視点」などの解説記事の醍醐味である。

 ところが、近年は、オフの囲み取材の中での発言を都合よく「切り取られた」などという取材を受ける側からの不信が生まれ、オフの取材機会が減少し、選手の取材機会は会見のみというケースが増えつつある。メディア側の自業自得の面もあるが、表面的な選手のコメントだけで記事ができてしまう傾向が強まってしまっている。

 さらに、速報性を最優先に記事を深く掘り下げる行為を放棄し、会見内容をそのままネット上にアップするインターネットメディアが登場したことも、新聞メディアなどの「垂れ流し記事」の増加を助長させたとみる。

 例えば、けがから復帰した選手が会見で「ここに至るまで、引退を考える時期もあった」と発言した場合、従来ならその後の囲み取材で、「引退を考えた時期はいつだったのか」「復帰しようと決断した転機は何だったのか」などを詳しく聞いて、記事を作り上げる。

 ところが、ネット上には会見全文を速報した記事がすぐにアップされ、「引退を考える時期もあった」というコメントも深掘りすることなく、そのまま垂れ流されることがある。新聞などのメディアも「速報レース」に参戦することで、若い記者には囲み取材で深掘りするという取材スタイルそのものが希薄化してしまう事態を招いてしまう。