そうした懐柔策の外側にいた雑誌メディアには、ときに強硬な態度に出た。1982年、プロ野球について批評していた作家の玉木正之氏が「月刊現代」に書いた記事をめぐって巨人軍広報は出入り禁止を申し渡したりした。

 球団側の「出入り禁止」をチラつかせる締め付けによって、かつては批評精神にあふれていたスポーツメディアは萎縮し、球団の意に沿った情報を発信するだけの「業界紙」になってしまった。

ドラフト外での「囲い込み」が問題化

 スポーツメディアが健全な批評精神を失ったことによって、球団サイドはプロ野球界を自分たちの経営に都合のいい形に変えやすくなったと言える。そして90年代に入ると、ドラフト制度の「改革」が始まった。

 ドラフト制度は1965年から導入されたが、それ以降も「ドラフト以外」での選手獲得は認められていた。

 1978年にライオンズを買収した西武は、ドラフト外で松沼博久、松沼雅之、小野和幸、秋山幸二などの有力選手を獲得した。これらは独自のネットワークで発掘した有望選手に、他球団のスカウトには「プロには行かない」と言わせたうえで、ドラフト会議後に獲得するという、いわゆる「囲い込み」の成果だった。