「逆指名」で骨抜きにされたドラフト制度
しかし1991年からは「ドラフト外」での選手の獲得が認められなくなった。囲い込みができなくなったのだ。
一方で1992年からは巨人の主導で「逆指名制度」が導入された。これは大学、社会人野球の選手限定で、1球団につき2名までの対象選手が、自分の希望するチームを宣言することができるというものだが、実質的には事前にアプローチした球団スカウトが、選手を説得して希望チームを表明させたのだ。
これまで触れてきたように、日本のドラフトは「戦力均衡」という目的は意識されてはいなかったが、「逆指名」によって本来のドラフト制度のコンセプトは完全に骨抜きにされた。
後年の報道で、選手に「逆指名」をさせるために巨額の裏金が動いていたことも明らかになっている。そして「逆指名制度」は、その後も「自由獲得枠制度」「希望入団枠制度」と名前を変えて存続された。
巨人をはじめとする日本の球団は選手獲得を巡って「絶えずルールの抜け穴を探ろう」「自分たちだけが得をしよう」と考えていた。本来、スポーツとは明確なルールの下、公正に行われるべきだが、少なくともプロ野球の経営者はそうしたスポーツマンシップの精神は持ち合わせていなかったと言える。