京大生の「あるある」は特殊すぎる!
お題(B)は、卒業した学校での経験を振り返ってもらうものだ。まず、盛り上がったのは、校則のゆるさという話題。
公立高校においては全国的に、進学校では校則が緩く(文面自体が緩い場合もあれば、文面上は厳しくても運用が緩いこともある)、非進学校では校則が厳しい傾向にある。一般に、学校SESが高い学校ほど、生徒は同級生と協同する姿勢があり、学校への帰属意識も高い。校則を厳格にしなくても、学校の秩序の維持が期待できるのだ。
高校の隠れたカリキュラムに関しては、進路指導の話題が、関心を集めていた。近畿圏の有名な中高一貫校出身のだいきの発言にあるように、進路を考えるための講演会などによる“サブリミナル効果”によって、京大などの難関校への誘導がなされるという話は、なるほどと思わされた。
講演会の企画自体は、顕在的なカリキュラムであろうが、招へいされる講演者の属性に偏りがあれば、そのことは隠れたカリキュラムとして、たとえば「京大に進学することが望ましい」という価値を、生徒に伝達することになるのだ。
ちなつの母校は、東大に毎年1~2名行くか行かないかという中堅の進学校だが、進路アンケートの「第1志望」欄に「東京大学」とあらかじめ印字されていたという彼女の話に、リアリティを感じる受講生は多かったようだ。
「東大・京大に行くのは当たり前」という学校環境(事実としてそうである場合もあれば、ちなつの学校のように、事実は異なるが生徒にそのように認識させるよう迫っているだけの場合もあるだろう)にいれば、「自分でも合格できるかもしれない」と夢を膨らませる生徒が出てきても、不思議ではない。まさに、隠れたカリキュラムである(なお、東大・京大への過度な「圧力」は、過剰なストレスを生徒に与える側面があることにも、留意が必要と思われる)。
第1講のディスカッションは、「それ、わかる」「私もそうだ」という共感の声が、特に多く聞かれたのが、印象的だった。
以下、第1講を終えて提出された「授業後レポート」から、一部を抜粋して紹介する。
「意図的養育」を受けていたことに気づいた
【授業後レポート】
男性:私の両親は大卒だ。習い事については、やる気があれば自由にやらせてくれるというスタイルだった。基本的には私のやりたいようにやらせてくれていたため、私の両親はそこまで教育熱心ではないのかなと思っていた。
しかし、今日の議論を通して、幼いころから習っていた水泳について思い出し、親に知らぬ間に誘導されていたのではないかと思った。習い事をすることが、当たり前の環境で育ったため、習い事をすることは普通と思っていたけれど、ここにも親の意図的介入があることに驚いた。
女性:両親とも大卒で、振り返ってみると意図的養育が行われていたと感じる。母がテレビ番組中の下ネタや見た目いじりなどを子供に見せることを忌避していたため、バラエティー番組やドラマを見る機会はほとんどなかったが、それ以外は娯楽で制限されることはなかった。
幼少期にバレエ、ピアノを始めて小学校低学年の時水泳、中3秋から塾に行っていた。(親は)PTA活動に協力的でどの時期も私か弟の代の役員を務めていた。
男性:自分が思っていた当たり前は他の人の当たり前ではないということを改めて感じた。自分が置かれていた状況を社会全体という土俵において考えながら、子どもたちを取り巻く環境を複数の視点を持ちながら考えていけるような人になりたいと思った。
女性:授業を経て、京大生の家庭環境は似ている部分が多かった。教育熱心で意図的養育を行う親が多いように感じられた。
女性:卒業した学校は公立のいわゆる進学校で、高校入学当初から国公立大学を目指すことが当然という空気感だった。関西の高校だったので、特に京大、阪大、神大を受験する生徒が多かった。
公立高校なので幅はあると思うが、生徒の平均的なSESは高い。生徒は、ほとんど全員が大学進学を目指せる環境で、進路も浪人か大学進学かの二択だったように思う。高3の秋ごろから志望校別で授業が行われ、学校として生徒の大学進学を応援してくれている雰囲気があった。
女性:私の家庭はいわゆる高SESだと思う。両親とも学問(あるいは学歴)の価値を知っていたので、私への文化的投資は多かった。
勉強も習い事も自分がやりたいと言い出したものだと思っていたが、先生の仰った「そう思わせた教育」(意図的養育)の賜物なのかもしれないと考えた。これについて母に直接尋ねたところ、確かに私の勉強への関心の要因は意図的養育の影響があったことがわかった。
例えば、母は私が0才のころから絵本の読み聞かせをしてくれていたらしい。公文は適応訓練(座って勉強する、間違いの指摘を癇癪を起さずに受け入れる等)のために始めさせたそうだ。