「市民派」の看板と組織的支援の落差
今回の知事選では、立憲民主と国民民主の両党県連が稲村支援を表明し、自民党県議団の半数程度と県内市町長の多くも稲村支持で動いている。
一方で、稲村の政治スタンスを敬遠する声もある。自民党内には「リベラル左派色が強く、一緒にはやれない」という県議・市議も少なくない。実際、同党神戸市議団はそれを理由に、維新を離党した清水貴之元参院議員の推薦を決めた。
稲村の立ち位置についてもう一つ指摘されるのは、市民派の看板と陣営の「見え方」の落差だ。
自主支援という形ではあれ、国会から市町議会までの議員や首長、労組や市民団体などがついている。第一声の街頭演説には、各党議員や首長が居並び、県議やベテラン市長らがマイクを握った。聴衆にも議員バッジを付けたスーツ姿が目立った。つまり、何らかの組織に属する政治や選挙のプロが多い。
その光景を、日々の駅立ちやSNSの情報発信から広がり、バラバラな個人を糾合する斎藤陣営と比べた時、どうしても「既得権益集団」に見えてしまう。特定の政党に属さず、市民の立場から、党派を超えて協調・連携するのが従来の市民派だったわけだが、ネットで個人を動員できるようになった時代には、その言葉が表すイメージも変わってきている。
無所属市民派を貫く稲村の政治スタンス、斎藤県政への評価、そして兵庫県政でめざすことは何か。本人の言葉を聞いてみよう。
先述したように稲村は尼崎市長を退任した時点で、一度は政治家を引退した。後援会も解散し、大学の客員教授やテレビのコメンテーター、講演活動などで多忙だった。そこからの再起動は容易ではないはずだが、なぜ決断したのか。