1993年、日本初のハング・パーラメント
日本はどうでしょうか。
終戦直後の一時期などを除き、日本では自民党の単独政権が長く続いてきました。その流れを打ち破り、初めて本格的なハング・パーラメントをもたらしたのが、1993年の総選挙です。衆院定数511のうち、どの政党も過半数を取れませんでした。与党だった自民党は223議席にとどまる一方、野党側は社会党が70議席、新生党55議席、日本新党35議席、 新党さきがけ13議席などとなったのです。
このハング・パーラメントを前にして、自民党は日本新党や新党さきがけという保守系の2政党との連立政権樹立を目指しました。しかし、非自民・非共産の野党8党(社会党、新生党、公明党、日本新党、民社党、新党さきがけ、社会民主連合、民主改革連合)が結束すれば、過半数を割り込んだ自民党の議席を上回る状態となっていたため、日本新党などは自民党との交渉を拒否。非自民・非共産の8党は、日本新党代表の細川護熙氏をかついで首班指名選挙を戦い、当選させたのです。その瞬間、1955年の結党以来ずっと与党だった自民党は、野党に転落しました。
その後、自民党は1998年の総選挙で単独過半数を回復し、以後は公明党などと組んで連立政権を打ち立てるようになります。民主党に政権を譲り渡した期間(2009〜2012年)を除き、自民党・公明党の連立与党は常に過半数を制してきました。