ハング・パーラメントの元祖・英国ではなにが起きた?
議会政治の長い歴史を持つ英国では戦後、保守党と労働党がしのぎを削る二大政党制が確立され、どちらかの政党が過半数を取り、政権を樹立することが常態化していました。それでも、ごくまれに保守党も労働党も単独で過半数を制することができなかったことがあります。
戦後初のハング・パーラメントは、1974年2月の総選挙で生まれました。下院定数630のうち、労働党は301議席、保守党は297議席、自由党は14議席、その他22議席となり、どの政党も過半数の316議席を獲得できなかったのです。
選挙後、ロンドンの新聞各紙は「勝者なき選挙」「大連立以外に道はない」との見出しで選挙結果を報じたほか、「1年以内にまた選挙があるだろう」との見通しを示しました。
このとき少数与党の政権を率いたのが、労働党のウィルソン首相です。案の定、ウィルソン内閣(第3次)は野党から「インフレ対策に失敗している」などと厳しい追及を受け、政権運営に苦心。世論も激しい批判を浴びせます。そのため、組閣からわずか7カ月後には解散・総選挙を表明しました。
英国で同じ年に2回の総選挙が行われるのは実に64年ぶりでしたが、「出直し総選挙」では労働党が過半数を獲得しました。有権者は「安定」を選択したのです。
英国では、2010年にもハング・パーラメントが出現しました。このときは保守党が第3勢力の自由党と組んで過半数を握り、政権を安定させました。その保守党は政権与党として臨んだ2017年の総選挙で過半数に届かず、下院はまたもやハング・パーラメントに。結局、保守党のメイ首相は苦しい政権運営を続けることになりました。
その後、英国では、自由民主党やスコットランド国民党などが台頭。2大政党制から多党制に移りつつあるとも言われるようになっています。