1957年、米国で知り合った日系米国人女性と結婚し、そのまま米国を拠点に生活。ユタ州立大、コロラド州立大で教鞭を執ったが、自然界の毒物に注目した米陸軍の要請を受けて1984年から2007年まで軍の研究などに協力した。

警察庁科警研にサリン分解物の分析法を教示

 杜氏の名前が日本で知られるきっかけは1994年に起きた松本サリン事件だった。

 日本の化学専門誌『現代化学』に「猛毒『サリン』とその類似体」と題した論文を寄稿していた杜氏の「土壌中のサリン分解物によるサリンの検出法」に注目した日本の警察庁科学警察研究所(角田紀子所長=当時)から接触を受けた杜氏は、米陸軍からサリン分解物の、土壌の中での毒性や分析法などを解説した資料を入手し、軍の許可を得てこれを科警研に提供。

 その際「サリン自体は揮発性が高いのですぐに消えてしまう。だからサリンの地中での代謝物を検査するべきだ」と具体的にアドバイスしたという。

 日本の警察はこれを手掛かりに山梨県の旧上九一色村にあったオウム真理教の施設付近の土の中からサリンの分解物を検出することに成功。教団とサリンという点が線で結ばれて一連の事件解決につながった。

 杜氏はこの功績によって2009年、旭日中綬章を受章。以後、日本メディアから毒物関連の取材申し込みが多数寄せられるようになった。

 1998年にコロラド州立大学を退官、名誉教授となった後は千葉科学大危機管理学部教授や順天堂大客員教授なども務めた。

サンフランシスコ郊外サンマテオの自宅でくつろぐ杜祖健氏=2022年5月4日(筆者撮影)
拡大画像表示