2024年9月、囲碁界にビッグニュースが舞い込んだ。棋士の世界一を決める国際棋戦「応氏杯」で一力遼氏(27)が優勝したのだ。日本勢として実に19年ぶりに栄冠をもたらした一力氏の強さはすでに世界中にも知れわたっており、ライバルの中国では“遼神”と恐れられている。国内棋戦でも棋聖・天元・本因坊に加え10月末には名人も奪取し、四冠となった。獲得タイトル数は26を数え、第一人者の地位を確固たるものにしている。
一力氏の活躍は囲碁だけにとどまらない。東北の代表新聞「河北新報社」の創業家に生まれ、現在社長を務める一力雅彦氏のひとりっ子。プロ棋士として実績を積みながら、河北新報では東京支社編集局に配属され、記者としても腕を磨いてきた。そして、今年3月には同社の取締役に就任。ゆくゆくは家業を継ぐ可能性も高い一力氏だが、果たして多忙を極める棋士と経営者の“二刀流”を続けられるのだろうか。一力氏のこれまでの歩みと今後の目標などについて話を聞いた。
【聞き手:内藤由起子(囲碁観戦記者)/構成:田中宏季(JBpress編集部)】
「中学卒」が普通の世界で早稲田大学に進学したワケ
──囲碁を始めたきっかけは何ですか。
一力遼氏(以下敬称略) 子どもの頃からボードゲームが好きで、オセロや将棋など一通りやりましたが、囲碁が一番長く続けられました。幼少期の記憶はあまりないのですが、たぶん囲碁が一番面白かったのだと思います。
囲碁のルールは5、6歳のころ祖父(河北新報社の社主で有段者だった一力一夫氏)から教わり、地元の囲碁教室などにも通いました。とても負けず嫌いで、対局で負けた後には大泣きしてトイレにこもったこともあったようです。自分ではあまり覚えていませんが。
──そこから囲碁のプロを目指した経緯は?
一力 より高いレベルで碁に没頭したいという気持ちが大きくなったため、小学2年生で院生(プロ養成機関)になり、土日の研修にあわせて母と仙台から東京に通いました。
小学4年生の時には、仙台であったタイトル戦を間近で見て、プロへの思いはますます強くなりました。最終的には祖母が「孫の好きなことをやらせたい」と背中を押してくれ、小学5年生の10歳から本格的に東京に出てきました。
──そして中学1年でプロ入りし、多くのトップ棋士が義務教育で学歴を終えるところ、一力さんはその後、高校、大学と進学しました。早稲田大学社会科学部に進学したのはなぜですか?
一力 他の学部は専門が偏りますが、早稲田の社会科学部は学際性があり幅広くいろいろな学問が学べます。経済、経営、商学は将来の役に立つと思いましたし、興味のある文学の講義も受けました。
──学生と棋士の二刀流で、大変なこともたくさんあったのでは?
一力 そうですね。2018年の1、2月は棋聖戦の挑戦手合と大学の試験日程がちょうど重なってしまったので、正直しんどかったです。大学のほうは延期して再試験を受けるかレポートを提出するか選ばなくてはならなかったのですが、空いている時間帯に教授と喫茶店に行き、目の前で試験を解きました。今思うとよくやっていたなと思います。
──囲碁と学業はどのくらいの比率でこなしていましたか。
一力 普段は囲碁8割、学業2割でしたが、もちろん試験のときは逆の比率で打ち込んでいました。中学、高校も何とか囲碁と学業を両立できたので、その延長線上で大学も一生懸命やって今に至っているという感じです。
──囲碁の考え方など、学業に役立ったことはありますか。
一力 囲碁で培った集中力は学業でも活き、良い影響があったと思います。また、試験勉強のやり方などは囲碁と似ているところがあります。囲碁では対戦相手のデータを分析して、相手がどう打ってきそうかといった「傾向と対策」を練りますが、この考え方は中学、高校、大学の試験勉強でも共通部分があると思います。
── 一力さんは英語や中国語が話せて、英語圏の人向けに囲碁の解説動画を配信しています。どうやって勉強したのですか。
一力 英語の勉強は中学や高校の授業がほとんどです。高校3年の時は(ヒヤリングのある)センター試験(大学入学共通テスト)の過去問題をかなり解きました。
中国語は大学の第2外国語で学びました。最近は特に語学にはまっていまして、韓国語も勉強し始めました。海外の囲碁の記事を読んだり、対局で海外に行った際にはできるだけ現地語で聞いたり話したりできるようにしたいと思っています。