家業の河北新報社で取締役に就任した「重責」

──2020年に大学を卒業し、同年4月から家業でもある河北新報社に入社しました。最初は東京支社編集局に配属され、記者として仕事を始めたそうですね。

一力 他の新入社員と同じように筆記試験と面接を受けました。入社当時はちょうどコロナ禍でしたが、『一碁一会』というコーナーを担当し、囲碁を知らない読者の方々に対して、月に1~2本、囲碁の魅力を伝える記事を書いています。タイトル戦で宿泊した旅館の話や“勝負メシ”などの話題もあります。

 それ以外にも、先輩記者に同行して企業の経営者インタビューもしました。文章を書くことは好きなので、記者の仕事も充実しています。

──新聞社の仕事は報道機関としてとても大切な使命を担っています。

一力 プロ棋士になった直後、中学1年生の時に東日本大震災が起こりました。そこで新聞の果たす役割がいかに大きいかを改めて感じました。震災からの日々を記したノンフィクション『河北新報のいちばん長い日』が大きな反響をいただき、有事の際の新聞の底力を感じ、私自身も心を動かされました。

撮影:宮崎訓幸

──そして、今年3月には河北新報の取締役に就任しました。経営陣に加わったことでより責任感も増したのではないですか。

一力 定期的な役員会議は毎週あるのですが、対局と重なることも多く、仙台の本社にはなかなか行けないため、東京支社からリモートで参加しています。会社の内部事情や、どれだけの予算があってどれだけの成果があったかなど、経営全般を学んでいる状況です。

 新聞の発行部数自体は年々減っていますが、新聞以外にも協賛のイベント事業やオンライン事業など新規ビジネスも積極的に展開しているので、今後も学ぶべきことは多いと思います。

──ちょうど取締役になったころ、囲碁では少し調子を落とされていたようですが。

一力 正直に言うと、自分の中で負担に感じる部分があって、囲碁の方は調子を崩していましたが、最近は徐々に仕事との折り合いもつけられるようになってきました。

──将来的には会社経営を引き継ぐ可能性もあると思いますが、そのあたりの話を父で社長の雅彦氏と語り合うことはありますか。

一力 会社の今後について改めて父と語ることはありません。今は囲碁があるので、私の負担にならないようにという気持ちもあるのだと思います。

 もちろん創業家であり一人息子ということもあり、将来的には会社の方にウエートを置いていくことになると思いますが、棋士とどうバランスを取っていくかはまだ分かりません。もちろん迷いや葛藤もありますが、今は碁が大事な時期というのを父も十分理解していますし、棋士としての活動も応援してくれています。