(英フィナンシャル・タイムズ紙 2024年10月24日付)
米国の選挙が近づくなか、2つの矛盾した考え方がある。
一つは、カマラ・ハリス氏は完璧な候補者ではなく、予備選挙を経ずに指名されるべきではなかったというもの。
もう一つは、そんなことはどうでもいいという考えだ。
たとえ民主党が聖者のように慈悲深い、かつペリクレス時代の弁士のように演説のうまい人物を大統領候補に指名していたとしても、来月の選挙は結局、2000年、2004年、2016年、そして2020年の選挙と同様、どちらに転ぶか分からない戦いになる。
今世紀のこれら以外の大統領選挙――バラク・オバマ氏が勝利した2回の選挙――も圧勝ではなかった。
これでは得票率で53%を超える、あるいは46%を大きく下回るために政党ができることなど、一つもないように思える。
穏健化する動機が働かない勢力拮抗
ほかの主要な民主主義国では、政党の勢力がここまで拮抗して膠着状態が続いている例はない。
当の米国でさえ、前世紀にはこんなことはなかった。50対50の国に変異した(実際には、10人のうち4人は棄権することが多いため、30対30対40というのが本当のところか)ことは、市民にとって災難だった。
なぜか。それは穏健化する動機が全く働かないからだ。
もし国政選挙は必ず接戦になると保証されていたら、たとえ2度弾劾された罪人を候補者に指名したとしても、自らの態度を改める理由がない。
米国の大政党は、厳密に言えば21世紀になってから、本当の意味で権力を手放したことがない。
大抵の場合、連邦議会では一方の大政党が上院か下院のどちらかを制し、20州以上で州知事の座を確保し、誰が指名を受けるかにほぼ関係なく次の選挙でホワイトハウスを奪い返す可能性を相応に手に入れる。
大きくて待遇も魅力的なメディア業界と仲間になれば、「政治屋」は副業でいい暮らしを送れるようになり、行儀良く振る舞う特別な理由がなくなる。
国家が金融機関を支援する時には「モラルハザード」という言葉が思い浮かぶ。政治の世界もそれと同じだ。
有権者が流動性支援策に、政党が銀行にそれぞれ相当する格好だ。