高齢者らを対象に始まった新型コロナウイルスワクチンの定期接種=1日午前、東京都板橋区(写真:共同通信社)高齢者らを対象に始まった新型コロナウイルスワクチンの定期接種=1日午前、東京都板橋区(写真:共同通信社)

コロナ禍で経験した「耳を傾けすぎる政治」

 2020年から猛威を振るった新型コロナだが、今のところ鳴りを潜めているように思える。

 思い出すのも嫌だという人もいるだろう。筆者もそのひとりだ。コロナ疑いを含めて3回感染し、そのたびごとに40度の熱が1週間以上続き、一度は味覚障害も生じ、10日ほど味覚がなくなった。二人の祖母もコロナ禍中に亡くなり、十分な面会も叶わなかった。

 多くの人が様々な感染症対策に直面することになった。計画的なものもあれば、効果不明な政権の思いつきも含めて多用な政策が投入された。緊急事態宣言、外出自粛と行動変容、特別定額給付金、ワクチン接種計画、雇用調整助成金、全国旅行支援に各自治体が実施した休業協力給付金など枚挙にいとまがない。読者諸兄姉もひとつくらい思い出すものがあるのではないか。

 本稿の文脈ということでいえば、筆者は2020年7月に、それまでのコロナ対策と感染拡大状況、社会とメディアの状況を踏まえて、『コロナ危機の社会学』(朝日新聞出版)を執筆した。

 未知の感染症拡大に伴って不安が拡大し、その不安によって人々の政府に対する信頼感が失われ、政府は他方でバラエティ番組やネットで可視化される人々の「わかりやすい民意」を過度に気にすることで、「耳を傾け過ぎる政治(政府)」という効果よりも印象重視の政策が行われたという見立てだ。