支援物資の衣服を選ぶ避難者(筆者撮影、以下同じ)

西側のメディアにも取材許可下りる

 ウクライナ軍がロシアのクルスク州に侵攻してから、もう3か月目になる。クルスク州で何が起きているのか、そして国境の村から避難した人たちはどんな生活を送っているのか――。

 現場のリアルな状況を知りたくてクルスク州に取材に出かけた。時系列で、実際に見聞きしたことのみをお伝えする(前編/全2回、後編は明日公開予定)。

 夜行列車でクルスクに到着した。

 朝8時前なのに、日差しが眩しい。それでいて風は涼しく、秋の気配が感じられる。

 駅の真横には朝市が出ていた。

 スカーフをかぶった、いかにもロシアのおばあちゃんという感じの女性たちが、自分で作った野菜を売っている。トマトやかぼちゃ、ピーマン、産みたての卵、見るからに新鮮な丸鶏もある。

 町を撮影する前に、まずはクルスク州の取材許可証を取りに行った。

 クルスク州は、対テロ作戦の対象地域となり、さらに連邦レベルでの緊急事態が宣言されている。

 そんな事情から、特別な許可証がないと取材することはできない。

 とは言え、外国メディアだから不可とか、西側メディアのみ制限がある、というわけではない。私が訪れる直前には、フランスの新聞「フィガロ」の記者が取材に来ていた。

 許可証を取りに行く道すがら、サイレンの音に気づいた。そんなに大きくはないが、はっきり聞こえる。

 と同時に、クルスク州知事のテレグラムチャンネルから、「ミサイル注意」のメッセージが送られてきた。

 何をするでもなく、そのまま歩いていると、音がやみ、「危険は解消された」とメッセージが来た。何よりだ。