避難施設での生活を余儀なくされた男性は、日本から来た筆者に厳しい現状を訴えた(写真はすべて筆者撮影)

ウクライナ東部ドネツク州の主要都市ポクロフスク。9月の本連載記事では現地の様子をレポートしたように、避難指示の出た8月19日以降、住民たちは戦火を逃れるため住み慣れた土地を離れ、順次ほかの州に移ってきた。今回は、その避難の様子や避難先の生活について、写真とともにお伝えする。

(小峯 弘四郎:カメラマン)

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「もう街には居られなくなった」

 ポクロフスク近郊からの住民避難は、当初スムーズに行われているように見えた。しかし、9月4日に西部に向かう電車の橋が落とされ、その翌5日には中心部の電力施設がミサイル攻撃によって破壊されると、車での避難しかできない状態となってしまった。

 そこでドネツク州や近隣の各自治体は、緊急で避難バスを用意し隣接するドニプロ州へとピストン輸送を余儀なくされた。

 現地では9月5日を境に「もう街には居られなくなった」という人が多くいる。一部のスーパーやガソリンスタンドだけが何とか営業している状況となっていた。

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 そんな中、避難バスが到着すると待合室のある建物から次々と人が吐き出されてくる。両手には避難所で必要な手荷物を抱えている。

 足早に乗り込もうとする親子、高齢者、そして子どもたち。登録手続きを終えバスに向かう中に、きょうだいなのか友達なのかはわからないが無邪気に走って乗り込んでいく姿があった。