イラン・アメリカ大使館人質事件の“教訓”

 1980年の大統領選は、共和党のロナルド・レーガンと民主党のジミー・カーターとの間で激しく争われたが、時の選挙戦で最大の課題となったのは1年強イランで捕らえられていたアメリカ大使館職員の解放であった。

 この人質解放は1年後しばらくしてから実現したが、それは、大統領選の期間中ではなく、選挙戦が終わった翌年1月21日のレーガンの就任式の当日であった。これはレーガンの選挙参謀ビル・ケーシーが、イラン側に働き掛け、大統領選投票日の11月4日前には人質解放は行わないよう働き掛けていたからだとするものである。

1981年1月21日、イランのアメリカ大使館で444日も拘束されていた人々がようやく帰国した(写真:AP/アフロ)
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 これとは別に、トランプとネタニヤフとの間に上記のような暗黙の了解があったとするもう一つの根拠は、何としてもトランプに勝って欲しいネタニヤフは、トランプの意向を自ら忖度して、〈人質解放を行うとしても、早期には行わず、11月5日の投票日が終わるのを待ってから行う〉とするものである。

 このように推測するのは、ネタニヤフとトランプとの関係は、近時急速に緊密度を増している一方、これとは対照的に、バイデンとの関係はここ一年の間に急速に悪化しており、ネタニヤフはバイデンの白星となるようなアクションは決してとらないであろうと推測されるからである。

 昨年10月バイデンはネタニヤフとの電話中に怒りのあまり電話機をハングアップした(電話を切った)との情報があり、さらに今年の3月、バイデンは再びネタニヤフから電話を受けたが、直ぐには返答しなかったとのうわさもある。

 また、バイデンは、ホワイトハウス内での私的な会話で、「ネタニヤフは彼との約束をbetrayしている(裏切っている)」と述べたとされる。さらにこの10月にも、バイデンはネタニヤフから電話を受けたが、直ぐには返答しなかったと噂されている。

今年7月25日、ホワイトハウスで会談したネタニヤフ首相とバイデン大統領(写真:ロイター/アフロ)
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