ワイドショーやニュース番組の「便利な道具」

 入社4年目くらいだったでしょうか。報道の新番組の応援に駆り出され、そこで命じられたのは、街頭インタビューでした。

「最近話題になっているテーマについて、一般市民の声をまとめたVTRをつくる」のが私のミッションでした。

「街頭インタビューは嫌いです」と言いたいところでしたが、会社員として、そうは言えず、1カ月間、毎日、街に繰り出しました。

 修行のようでしたが、毎日、何時間もインタビューしていると、その技術は上達するものです。放送後にプロデューサーから褒められることが多くなりました。

 しかし、達成感はありませんでした。出来栄えがよいVTRだったとしても、回答者を操縦しているようで、予定調和の産物に過ぎないという懐疑的な気分が勝っていたからです。

 このところ、テレビを見ていると何かにつけて、「街の声」が使われていることに気づきます。

 ニュースデスクが熟慮して「ここで、街の声だな!」と判断していた時代よりも、もっと便利な道具として多用されているのではないでしょうか。「街の声を入れておけばいいんだよ!」という安易ささえ感じます。

 それが顕著なのは午後のワイドショーや夕方のニュース番組です。天気予報とは別に、「今日は暑かった、寒かった」と、1日の天気を振り返るコーナーが、なぜか増えています。そうしたコーナーの多くで「街の声」が使われます。

「半袖か長袖か迷いました」
「(気温が下がったので)今日から、『冷たいうどん』じゃなく『温かいうどん』です」

 こんな「街の声」が延々と続くのです。私は、今日の天気を振り返る意味がわからないうえに、その日の気温にまつわる「個人の事情」を公共の電波で流す価値を見出せません。