(歴史ライター:西股 総生)
小田原北条氏一族の重鎮である氏照の城
東京都八王子市にある八王子城は、南関東を代表する戦国時代の山城として国史跡に指定され、また日本城郭協会による日本100名城にも選定されている。この城を築いたのは、小田原北条氏一族の重鎮である北条氏照だ。
前稿「東京近郊の問題な城を歩く」シリーズ「滝山城」(9月10日)でも説明したように、北条氏照はもともと滝山城を本拠としていたが、のちに八王子城を築いて移転した。移転の時期については諸説あるが、天正15年 (1587)頃と考えるのが妥当だろう。天正18年(1590)、豊臣秀吉が関東に侵攻した際、八王子城は前田利家・上杉景勝・真田昌幸らの大軍に攻められ、激戦の末、陥落して廃城となった。
城の遺構はよく残っていて、山麓の御主殿付近は史跡公園としてきれいに整備されている。見学者のための便益施設も整備され、ボランティアガイドもいるから、休日には多くのお城ファンや戦国史ファンが訪れる。山城に登る道も整っているから、ハイキングコースとしても人気がある。
そんな八王子城の何が問題なのだろうか。筆者が指摘したいのは。次の三つだ。
第一に、ありえない話がまことしやかに語り伝えられていること。天正18年の落城のときに奥方以下、多くの女性たちが「御主殿の滝」に身を投じた、という伝説である。
第二に、氏照が滝山城から八王子城へと本拠を移した理由で、お話にならないレベルの考察が巷に溢れている。この件については、きちんとした説明が必要なので、稿を改めてきちんと説明したい。
第三は、この城が決してビギナー向きではない、という問題。
では、まず第一の落城伝説問題から。女性たちが身を投じたという滝は、山麓御主殿のすぐ下にある。現地を訪れてみると、木々がうっそうと茂っていて、昼なお冷気(霊気?)が漂う場所ではある。ただし、滝そのものは拍子抜けするくらい低い。飛び降りたら捻挫か骨折くらいはするだろうが、命を絶つのはちょっと難しそうだ。
いや、滝壺に集まって自刃したのでは? という人も出てきそうだが、残念ながら、城中の女性たちがこの場所で自害するというのは、原理的にありえないのだ。
なぜなら、籠城戦のときに城中にいる女性というのは、主に家臣の妻女たちだからだ。乱世の常として、彼女らは家臣が裏切らないための人質である。敵が攻めてきた場合は逃げられないように、城の中心部に軟禁されるはずなのだ。八王城なら山麓の御主殿ではなく、山上の本丸か、その近くのどこかというわけだ。
それに、八王子城のような構成の城では、山麓の御殿は、戦闘時には敵の攻撃を最初に受け止める前衛陣地の役目を担うことになる。実際、八王子城の御主殿一帯もそのような構造になっている。敵の大軍が攻めかかってきている状況で、そんな場所に非戦闘員がウロチョロしているわけがない。人質でない女性(下女など)がいたとしても、戦闘が始まる前に山上に退避するはずだ。
このように、御主殿の滝の落城伝説は、原理的に起こりえない話である。ただ、もっともらしくて、わかりやすい話なので、城を彩る「ネタ」として重宝されてきたのだろう。われわれも、城歩きを楽しむ「ネタ」として受け取ればよいのだと思う。(つづく)