八王子城 写真/西股 総生

(歴史ライター:西股 総生)

命の危険すら危惧されるレベル

(前稿から)戦国関東を代表する名城とされる八王子城の最大の問題点は、城歩きのビギナー向きではない、ということに尽きる。多くの人がこの城を訪れること自体は別に問題ではなく、いや、むしろ歓迎すべきことなのだが、山城として要害堅固な八王子城は、ビギナーにはお薦めできない。

八王子城の山上からの眺望。好転の日には東京スカイツリーや筑波山も見える

 いや、お薦めできないどころではなく、命の危険すら危惧されるレベルなのである。「有名な城だからいっぺん行ってみよう」みたいな、安易な気持ちで訪れるのは謹んでほしいことを、筆者はお伝えしたいのだ。具体的に説明しよう。

 八王子城は巨大な城で、全体は通称「居館地区」「要害地区」「太鼓曲輪地区」に大別される。このうち「居館地区」は、北条氏照の屋敷があった「御主殿」を中心とする山麓の曲輪群で、史跡公園として整備が行き届いているから、何の問題もない。普段着でふらっと訪ねて、史跡散策を楽しめる場所である。

山麓の御主殿付近はよく整備されていて手軽な史跡散歩が楽しめる

「太鼓曲輪地区」は、「居館地区」と城山川を挟んだ対岸の山にあり、純然たる戦闘用の出丸だ。急角度で切れ込んだ深い堀切を、何の手掛かりもなしに何度も上り下りしなければならないし、エスケープルートもない。滅多に人が来ない場所だしわかりにくいから、事故が起きても救護は期待できない。軽い好奇心で行くべき場所ではないが、登口は不詳で道も整備されていないから、普通の人はそもそも立ち入らないだろう。

 もっとも問題なのは「要害地区」、つまり「居館地区」の裏手に聳える山城の本体である。ここにはハイキングコースが整備されているから、山歩きに慣れている人なら、さして労せずに登ることができるだろう。

山城へはハイキングコースが整備され、ベンチなどもあるが……

 ただし、山城なので地形が険しく、高さの割に汗を絞られる。普段山歩きをしない人が、「いっぺん行ってみよう」気分で、普段着とスニーカーで登ってよい山ではない。

 とくに問題なのが、本丸の背後に一段と高く聳える「大天守」または「詰城」と通称される場所。ここは、本当は天守でも詰城でもなく、本丸の背後を防禦する堡塁群なのだが、巨大な堀切と崩れた石積が残っているので、城好きの人たちは訪れたがる。けれども、ここは素人が安易に歩いてよい地形ではない。わけても、本丸から伝「大天守」に向かう途中の道は、見た目以上に危険である。

主郭背後の大堀切

 筆者がこのようなことを書くのには、理由がある。実際に、八王子城で滑落事故に行き会った経験があるのだ。滑落して動けなくなった人を救出して麓まで下ろすというのは大変な作業で、この時も30人ほどのレスキュー隊が続々と登ってきて、大騒ぎであった。

 レスキュー隊の人に「こういう事故、多いんですか?」と聞いてみたら、頷いてから高尾山の方を顎でしゃくり、「どうしてあっちへ行かずに、こっちを歩くんですかねえ」と苦々しげに言っていたのが、印象に残っている。高尾山と八王子城では、山の高さは似たようなものだが、危険度はまるで違う。

優れた山城ほど人を拒む力が強い。こうした険しい場所を歩く覚悟が必要だ

 困るのは、現代はSNS社会なので、「八王子に来たついでに登っちゃった」「スニーカーでも大丈夫だったよ」的な投稿が、巷に溢れていること。山慣れしていない人ほど危険な場所に気がつかないだけの話で、投稿者が「たまたま」何もなかったからといって、次の人が無事故で下りてこられる保証はない。

 山城とは敵を防ぐための施設だから、高さの割に地形が厳しい上に、登ってきた人を殺傷するように造ってある。当然、名城と評される城ほど殺傷力は高いのだ。しかも、「要害地区」の遺構はほとんどが密藪に覆われている。城歩きのビギナーが訪れても、「登った」という満足感以上のものはえられない。

「名城だからいっぺん行ってみよう」という城好き・歴史好きの皆さんには、山麓の「御主殿」一帯をじっくり楽しむことを、お薦めしたい。

山麓の御主殿一帯を歩くだけでも充分に楽しめる