「難読症」と聞いた筆者が次男にとった対応

 韓国語のハングル文字は表音文字なので、ローマ字がずらずらと羅列されているようなものだ。すべての母音と子音を覚えなければ読むことはできない。5歳児には難しい気がするのだが、韓国人の子供たちのほとんどが1年生になる前に、読み方を覚えさせられる。

 1年生になり模索を続けながらも、学習効果が見えない中での1学期、担任教師との個人面談のときに意外な言葉を聞いた。

「お母さん、難読症ってご存じですか」

 その言葉を聞いた瞬間、たくさんの点がつながって一気に線になった。そうかなるほど、この子は文字を読むのが嫌で読まなかったのではなく、読めない脳の持ち主だったのか、と。

著者の次男は難読症の可能性が高いという(写真:StepanPopov/shutterstock)著者の次男は難読症の可能性が高いという(写真:StepanPopov/shutterstock)

 担任はどのようにして次男に文字を教えようかと悩んでいたようだったが、筆者は待ってもらうようにお願いした。今までやっていた勉強を一度、全部ストップしようと思ったのだ。

 一般的には筆者の行動は、親として理解を得られないかもしれないが、それには理由があった。

 その時点で次男は、文字が読めないことで不自由をあまり感じていなかった。次男は町の看板にも、お菓子の箱に書いてある文字にも関心はなく、極端な話ではあるが、彼は1年生の時点でまだ文字を読む必要性を感じていなかった。

 当時はコロナ全盛期で、次男より1年上の子供は小学校の入学式もできなかった。

 学校にもなかなか行けず、その代の子供たちは、学校になじむにも学力の遅れを取り戻すのにも相当な時間がかかった。当時は勉強についていけない子供たちや、学校に行くのを嫌がる子供たちの話をよく聞いた。

 しかし次男は、文字が読めないからといって学校に行きたくないとは言わず、本人は幸せな毎日を過ごしていた。

 そして、当時は長男が中学校3年生だった。長男は非常に成績が良い子で、数学と英語はだいたい100点を取ってくる子だった。

 ところが、彼の学校生活は幸せではなかった。外国語高校に進学しようと勉強ばかりしていて、ストレスフルな日常を送っていたのだ。

 周りからは勉強ができていいわねと言われても、全然良くなかった。競争が激しい韓国の学校生活に丸呑みされていくような毎日が、本当にしんどかった。

 次男にはこんな人生を送らせたくない。そのような気持ちが強かった。勉強ができなくても健康で、自立する道を親子で探そうと思ったのである。