庭園を散策しながら話をする北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(手前左、当時)と中国の習近平国家主席(同右)ら=2019年6月、平壌(写真:朝鮮中央通信=共同)
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「類は友を呼ぶ」という言葉があるが、私には疑問である。例えば、周囲で、いわゆる「おしどり夫婦」と言われているのは、夫と妻が、むしろ「凹凸」のような性格をした人たちだ。漫才だって、ボケとツッコミが並び立つから調和する。

 何のことかと言えば、昨今の中朝関係である。習近平主席と金正恩(キム・ジョンウン)委員長が、あまりに似すぎていて、隣国同士がギクシャクしているのだ。

心から打ち解けられない両首脳

 10月6日は、中朝が国交を結んで75周年の記念日だった。朝鮮民主主義人民共和国の建国は、日本の植民地支配が解かれて3年後の1948年9月9日。一方、中華人民共和国は、その翌年の1949年10月1日。両国とも「社会主義の父」たるソ連の強大な影響下での建国で、中国が建国した5日後に、いわば「兄弟の契り」を交わした。

 翌年に朝鮮戦争が勃発すると、中朝関係は「血を分けた誼(よしみ)」に格上げされた。以後も北朝鮮は、中国を頼り、2020年のコロナ禍の前までは、貿易の9割以上が中国とだった。

 私が初めて訪朝したのは2002年だったが、「革命の首都」平壌でさえ、まるで中国の「経済植民地」のような状態に映った。平壌の中国人たちも、「わが国が手を引いた時が、北朝鮮が崩壊する時さ」と嘯(うそぶ)いていた。

 ところが、2012年4月に北朝鮮が正式に金正恩時代を迎え、同年11月に中国が「習近平新時代」を迎えてから、両国関係には、にわかに暗雲が垂れ込め始めた。翌2013年2月、金正恩委員長は、習近平総書記から固く止められていた核実験に、ゴーサインを出した。

 以後、10年以上が経つが、その間の中朝関係は決して平穏ではなく、いつもどこかでギクシャクしていた。