「石破悲観論」はあまりに直情的

 もちろん、「だから高市氏ではなく石破氏でよかった」という安易な話にはなり得ないが、日銀の独立性を蹂躙して緩和路線を持続させるという社会実験はもう10年間実施してきたのだから、違うアプローチを検討するのはおかしなことではない。

 事実、インフレ期待は押し上げられつつあるのだから、「金利のある世界」への回帰は当然志向されてよいし、見方によってはアベノミクスの成果と(考えたければ)考えればよいだろう。

 なお、石破総裁は「貯蓄から投資の流れをもっと加速していかなければならない」との考えも示している。「1億円の壁」問題に関する情報発信が続く懸念はあるが、総裁選の最中でにわかに争点化した金融所得課税については距離を取る公算が大きいのではないか。

 今や日本家計部門における資産効果は、恐らく石破総裁が考えるよりも大きなものになっている。この点を新閣僚や、今後選ばれるであろうブレーンたちが上手くプレゼンできるのかは注目したい。

 少なくとも、現時点で得られる情報が少なすぎるので何とも言えないが、「高市氏ではなく石破氏だからすべて終わり」のような悲観論は現時点であまりにも直情的な側面が大きすぎるのではないかと感じる。