堀田の大英断による出府決定

 安政4年7月2日、堀田は開国に消極的な勘定奉行・勘定吟味役グループを抑え、積極的な大目付・目付グループの意見を採り、ハリス出府の許可および通商開始は18ヶ月以降先とする期限を沙汰した。そして、ハリス応接掛として土岐頼旨(大目付)、林復斎(儒役)、筒井政憲(槍奉行・大目付次席)、川路聖謨(勘定奉行)、鵜殿長鋭(目付)、永井尚志(目付)、塚越藤助(勘定吟味役)の7名を任命した。

永井尚志

 その背景として、時期尚早として出府に難色を示していた阿部の逝去による堀田の実権掌握があった。また、ハリスが無許可で出府する可能性を排除できない実情も存在した。それにしても、堀田がいなければ、ハリス出府はあり得ず、その後の歴史は大きく変わった可能性は大きい。堀田の役割はこれまで、あまりにも過小評価されており、その是正は急務であろう。

 なお、9月13日、堀田は安政2年8月に罷免されていた松平忠固を老中次席として再起用している。この人事により、堀田は内政を忠固に任せて外交に専念する体制を確立したことになる。

 次回は、通商条約の交渉開始の顛末と岩瀬忠震の重要提案、将軍継嗣問題の勃発の経緯、そして、通商条約の勅許獲得のため、堀田が上京する直前の状況を詳しく述べてみたい。