ゆとりのない世代代表のロスジェネ知事
「出直し選挙」で「大衆イメージ」を良くしたいとでも思ったのか、あろうことか、このようなタイミングでも斎藤兵庫県知事は、このところすっかり定着した「自分の思い」なる珍語を多用して発信し続けています。
「自分としての人生もありますし、しっかり判断していきたい」
「少しずつ、自分の思いは固まりつつあるんですけども、しっかり考えたいと思ってます」
視聴者の99%が鼻白むしかない、こんな受け答えをメディアの前で口に出せてしまう。
すでに自分の責任で、最低2人の人生を奪っておきながら「今さらお前が自分の人生語れる立場と思ってんのかよ!」と突っ込まれそうな、ただ事でないKYぶりを発揮しまくっています。
なぜここまで「人の心が読めない」KYが発生してしまったのか?
世代論だけで何かを言うつもりはないのですが「斎藤病」を考える上で避けて通れないのが「ロスジェネ」「震災」そして「ゲーム」「インターネット」などのキーワードであるように私には思われます。
というのは、このあたりの世代は私が大学・大学院で指導するようになった最初の学年にあたり、多くのケーススタディが思い浮かぶからです。
最初の東京オリンピックの年に生まれた私は、「男女雇用均等法」1期に当たる学年で、典型的な「バブル世代」に属し、古いタイプのコミュニケーションしか存在しなかった。
これに対し、バブルが弾けて「就職氷河期」に社会に出ようとした世代「ロスジェネ」は、1995年にインターネットが民生開放された時期と学生時代が重なって「ネットおたく」のハシリが登場する世代です。
また、この世代は物心ついた瞬間からゲームが身の回りにあった可能性が高いのも一つの特徴です。スペース・インベーダーの登場が1978年。
我々バブル世代は子供の頃、泥にまみれて駆けまわり「缶蹴り」「ドロ警」「三角ベース」など昭和な遊びが主でした。
トラブルがあれば取っ組み合いの喧嘩などにも当然発展し、そんな中から人との触れ合い方、コミュニケーションを学んでいったと思います。
ところが、「ゲーム」と「塾」が普及するにつれ、そういう旧世代型のコミュニケーションは「ロスジェネ」では急速に減っている印象が、歴代の学生たちを見る限り、私にはあります。
その結果なのかは分かりませんが、ロスジェネ以降の学生には「コミュ障」的な傾向が顕著に見られ、私が大学に任官して四半世紀この方、そうした悩みを持つ幾多の学生とも相対してきました。
さらに「インターネット元年」の同じ1995年には「阪神淡路大震災」と「地下鉄サリン事件」が発生しています。