(太田 肇:同志社大学政策学部教授)
動揺すら見せず「出直し選出馬」を決めた斎藤知事の本音
県幹部が告発したパワハラ等の疑惑に端を発した兵庫県の斎藤元彦知事を巡る騒動は、議会の全会一致による不信任を受け、知事が失職して再選挙に臨むという新たな展開を迎えた。
問題をここまでこじれさせた根本原因とは何か? 突き詰めると、それは組織を取り巻く時代の潮流を知事が読み誤ったところにあるのではないか。
「県民の皆さんにしっかり届くような政策を、改革を進めながらやっていきたいという強い思いでやってきました」
知事の不信任案が可決された翌々日、民放のテレビ番組に生出演した斎藤知事はこう語った。さらに複数の番組をハシゴしながら、県立大学の授業料無償化や県財政の黒字化など在任3年間の実績を懸命にアピールした。
県議会の全会一致で不信任を突きつけられたにもかかわらず動揺を見せない表情からは、県民のための改革を進めてきたという強い自負がうかがえた。
背後にちらつくのは、小泉純一郎元首相の郵政解散や、橋下徹元大阪府知事の府政改革を想起させる「改革手法の影」である。
既得権にしがみつく官僚や職員を「抵抗勢力」と見なし、自らを改革の旗手と位置づけて国民、住民の支持を得ようとする手法は一定の成功を収め、地方分権改革で「ミニ大統領」と化した首長が全国各地に次々と誕生した。
斎藤知事の場合も、部下(県民局長)による内部告発を「うそ八百」と切り捨て、早々に厳しい処分を下したのは、やはり県民の負託を受けた身であるというプライドや、自分に逆らう者は悪という感覚からきているのだろう。
だが、その結果、職員組合から辞職要求を出され、職員アンケートであれほど多数の批判的な声が寄せられたことを見ると、知事と職員との間に大きな溝が存在していたことがうかがえる。
官僚や職員を抵抗勢力、自らを国民・住民の側に立つ「正義の味方」と位置づける政治手法は分かりやすく、悪代官を成敗する「水戸黄門」が人気を博したように日本人の心情に響くものがある。
しかし、今回の斎藤知事の場合、そこに誤算があったのではないか。