ちなみに、本稿の途中で「江戸幕府が開かれたのは1603年、なぜ?」という問いを出しました。

 ここでキョトンとしているのは「そんなの常識~。タッタタラリラ、ぴーひゃら、ぴーひゃら」と思考停止したままの学生が見せる表情です。

 現場の背景もメカニズムも全く考えたことのない「思考停止のまま入試突破できてしまった」残念な学生やお役人が、この手の「規則に書いてあるから規則なんだ!」というリアクションを見せる。

「斎藤君」はこの典型タイプの症例を見せている。

 まともにできる東大生であれば「江戸幕府が開かれたのは1603年、なぜ?」の問に対して次のように答えるでしょう。

「1603年、慶長8年2月12日、江戸開府に漕ぎ着けるには、先立つ慶長5(1600)年秋、関ケ原合戦を、徳川家康を総大将とする東軍が制し、毛利輝元を総大将とする西軍が敗退することで、豊臣政権内部の政治抗争が終結、権力が再統合されたことが決定的であった」

「さらに、これに先立つ慶長3年8月、統一権力を掌握していた豊臣秀吉が死亡した後、政権は名目上、幼少の豊臣秀頼を担ぎながら、現実には五大老、五奉行の集団指導体制に移動し・・・」

 など、開府がなぜ2月、冬場だったかと問われれば、農繁期その他行政稼働が煩雑な時期を避けた政治的理由など、いくらでも答えられるのです。きちんと地に足のついた実力のある学生であれば・・・。

 しばらく前、本連載に「受験校」方式は疑問、と記しましたが、足腰のしっかりした思考力を持つ人材を大学は採用したく、記述式の出題で、その受験者の持つ「ものを考える力」をしっかり見ようと思うわけです。

 しかし、「考えた結果」のように見える「模範解答例」を塾その他が提供してしまい、そのパターンを役所の先例その他と同様に丸暗記。

 思考停止を「根性」と勘違いし、結果的に「人生最大の成功経験」としてパブロフの犬が覚えてしまうと、おねだりでヨダレを流す、だらしない人材が一匹できるという悪循環が発生してしまいます。

 私の予想としては、お手本となるパターンを丸写ししてきた思考停止のパブロフ犬の習性として、失職するまで何一つ判断も決断もできず、議会解散もしないので、そのまま百条委員会や司直の捜査も続き、議会の勢力も現勢に留まる公算が非常に高いと思います。

 現在、ドイツでこの原稿を書いており、外事の予定が混んでいるためまだ十分に資料に当たれていないのですが、不信任決議案成立後、むしろ「嬉々として」テレビなどに出まくっているらしい「斎藤元彦君」の表情や発言を目にしました。

 続稿では、このような素っ頓狂が演じられてしまう「感受能力」に欠陥を生じさせうる教育のゆがみ。無内容な受験勉強を核とする、教育の空洞化が「道義的責任って何ですか~?」という倫理の滅尽と、こうした愚かな現象の再発防止を考えたいと思います。(つづく)