ユダヤ人大虐殺に抗えなかった反省から、イスラエル建国翌年の1949年、国防軍の情報局アマン、国内の防諜と治安を担うシン・ベト、対外諜報・特務工作を担当するモサド(諜報特務庁)というインテリジェンス・コミュニティーの3本柱が構築される。

「外交ではなく強力な軍隊や情報機関でイスラエルの将来を切り開こうとする者たちが勝利した」(『イスラエル諜報機関暗殺作戦』)。スティーブン・スピルバーグ監督の米映画『ミュンヘン』(2005年公開)はミュンヘン五輪テロに対する報復「神の怒り作戦」を描いている。

「ターゲットの取り違えはただの間違い」

 1972年12月、テロに直接関与したとみられるパレスチナ解放機構(PLO)フランス代表の男性が自宅で使用していた電話の下にモサドのキドン(ヘブライ語で銃剣の意)部隊が密かに爆発物を仕掛け、遠隔操作で爆発させた。男性は片足を失い、その後、死亡した。

 96年にはシン・ベトが、イスラエル国内で発生したハマスによる複数の爆破テロの爆弾製造責任者で通称“エンジニア”の携帯電話を追跡して15グラムの爆薬を仕掛けて暗殺した。シン・ベトは“エンジニア”の幼なじみの親族を脅して協力させていた。