デモクラシー的価値観の根本にあるのは「個の尊重」

 リベラルという言葉の意味の歴史的変遷については別書に譲りますが*2、今日20世紀以降、リベラルな態度を表現するキーワードは「寛容(tolerance)」です。

*2:拙著「そもそもリベラルがわからない」『静かに「政治」の話を続けよう』亜紀書房、2011年、105〜119ページ

 現代世界には、民俗(族)、宗教、もちろん言語、生活習慣に至るまで多様な価値観が併存しています。それを前提に、この100年で世界的に広がったデモクラシー的価値観の根本にあるのは「個の尊重」ですから、国際社会のメンバーは、そうした多様な価値を等しく尊重するべきであると考えられています。

 これまでに継承されたものだけでなく、時にはそれと衝突するような新しい価値観も認めねばなりません。新しい価値観は、個人のたたずまい、家族のあり方、共同体の評価、国家の権威への態度などいろいろです。

 ですからリベラルを自称する人々は、まずはこの「新しき社会的諸価値への寛容」という基本態度をもつとされます。

 例えば、性においても多様なあり方を認めますし、家族の形態もいろいろだと考えます。ここは、血縁や地縁をもっぱら人間の絆の基本と考える旧来の共同体を重んじる人たちとは対立します。

 地縁・血縁が同心円状に拡大したものが「父なる祖国」「母なる国家」だと考える人とは異なり、リベラルは「共同とは個を基本とした関係の束である」とします。

 このとき、個人は大きな共同体の中に包摂されずに自分を守らなければなりませんから、巨大な経済システムの嵐に翻弄される個々の弱者への配慮を準備すべきだとなります。

 国家経済の発展のために個人が犠牲となってはならず、厳しい競争で弾き飛ばされた弱者のための社会的ネットを用意して、勝者総取り的な富の分配ではなく、所得の再分配をして残酷な資本主義社会の中で希望を失う人々の数を可能な限り減らそうと考えます。

 論理的には当然、国家の権威に対しては懐疑的となり、それよりも個人を単位とする社会の自律性を重んじます。彼らが「人権!」を強調する理由です。

 保守主義が「亡くなった人々の声にこそ浅はかな人間を救う知恵がある」とする伝統と、それを体現している(と彼らが信じる)国家の権威や威信を大切にするのに対して、リベラルは「伝統とは、今を生きる人々を見ようとしない過去の“思い出”に過ぎない。そもそもすべての伝統は、先行する伝統を革新することで生まれたものだ」となります。