個別問題に対する価値判断は人それぞれ

 そうなると「男は外で仕事、女は家庭を守り、子どもは家庭が育て、日本の淳風美俗を守るためには婚外子を認めない婚姻主義が必要で、国家や皇室の権威に敬意を払うべきだ。選択的夫婦別姓は家庭の基盤を崩す。単一民族国家を維持するために移民は原則許さず、異民族の帰化には高いハードルを課すべき」と考える人たちとは、価値観の共有地平がありません。

 これら個別問題の価値判断はいろいろですし、人間が社会的諸価値とどう向き合うかは、新しいものへの期待、古き慣わしへの忌避感、自由への憧れだけではなく、新しい不慣れな制度や習慣に移行することへの不安や恐怖、大切な伝統の継承をする使命感など、本当にいろいろな根拠に基づきます。

 だから新しい価値観に慎重な態度を取る人たちを、一様に「古色蒼然たる遺制に拘泥する反動者(歴史の流れに逆らう者)」と排除することはできません。それは非常に不寛容な態度です。

 個別の問題については、私にもいろいろと判断はあり、その全体像はまだら模様です。

 だから、例えば「街が外国人ばかりになって、異なる生活習慣が衝突するのは困る」と思って不安と恐怖をもつ人たちに、「多様性を無視した、狭量な日本人のままですね。もっと時代の動向を理解してください」などとは言えません。今を生きる人たちは、常に新しい社会的諸価値に適応していかなければならないとは思わないからです。「新しい価値は常に正しい」と言った全共闘世代の親戚に辟易してきましたから。

 日本の中高年男性に刻印された価値観、とりわけ男女の社会的役割や家庭のあり方についての心身習慣は、今日生活の現場でダメ出しをされ、「昭和の遺物」などとネガティブに扱われています。

「父兄のみなさん」とクセで言ってしまい叱られ、「女こども」とセットになった言葉がポロッと出て怒られ、「別嬪さんだね」と褒めたのに「ルッキズムです」と抗議され、「子どもはお熱のときにはママが一番だな」とつぶやいたら、「ママもパパもないでしょう? そうやって女の人を縛りつけるんですよ」と糾弾されます。

 これまで長い間、「高い教育を受けた中高年男性」という「呼吸をするだけで権力を保持している生物」によって、踏みつけられ、差別され、大切に扱われてこなかった女性からすれば、口でいくらリベラル風のことを言ったって、「アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)」があると言いたくなるのでしょう。

 その通りです。歪んだ価値観の中を生きてきたのですから、優等生のフリはできません。